DEBUG.EX
灰色を基調としたパネルが張り巡らされた小部屋がある。パネル同士の隙間には青緑色の光を放つラインが奔っており、それが照明代わりに部屋全体を照らしていた。
照らしている……とはいうものの、全体的に印象は薄暗い。
部屋には小窓があり、外に広がる白い空間があまりにも眩しいものだから、よりこの部屋の暗さが強調されているようにも感じた。
ここはガーデン内にいくつか点在しているデバッグチーム専用のブリーフィングルームだ。かつてラクーナの野生デジモンたちを保護するために運用されていた秘匿エリアは、その大きな役割を終えたあとは運営陣のスペースとして活用されている。
いま現在、このブリーフィングルームには、三人分の人影があった。
デジモンがいないことから、この場に高い秘匿性が求められているのが窺い知れる。
一人は白衣を着た男性。言わずと知れた元デジモンカードゲーム世界チャンピオンにして、全盛期にはあらゆるゲームで他を寄せ付けないプレイングを見せ“ナッシングビハインド”の異名をとった元プロゲーマー。ゼニスだ。
次に、彼と対面しながら不服そうな顔をしている男性がいる。こちらもI.D.E.A内では誇張抜きに、彼を知らぬ者はいないと言わせしめる有名人。緑色のジャケットに身を包む、ノアプロジェクトの英雄が一角――風真照人である。
そして最後に。
自分なんかが、と。彼らと並んで同じ空間にいることをおこがましく思いながら、身を縮めて誰かが喋り出すのを待つ女性がいた。
肩甲骨までかかる長い黒髪に褐色の肌。灰色の瞳や厚めの唇が特徴的で、目鼻立ちがはっきりとした顔。脚部が露出するように改造されたツナギを着た彼女は――。
「それじゃあ、改めて自己紹介してくれル?」
「っ! は、はい!」
唐突に“上司”から話を振られて、一瞬しどろもどろになりながらも彼女は背筋を伸ばして、大きな声でその声に応えた。
「――この度、I.D.E.Aインターン生から正社員になり、デジモンリベレイターのデバッグチームに配属されました! I.D.E.A技術部のエンジニア、サーナ・S・サントスです!」
DIGIMON LIBERATOR
DEBUG.EX INTERLUDE
――頭に血を昇らせず、心を静めて。
――――周囲に溶け込むことを、意識して。
――――――誠実な心で、穏やかな自分を思い描いて。
冷静沈着。安寧秩序。温厚篤実。
趣味の日本語を勉強している最中に、特に気に入った四文字熟語だ。それらをサーナは祈るように心の中で繰り返し唱えた。
彼女の緊張が伝わったのか、隣にいる風真照人もどこか気まずそうに顔をこわばらせる。
「あっはは、二人ともそんなに緊張しないでくれヨ。特にマイフレンド照人、大会で見せてくれたあの威勢はどこにいっちゃったのカナ?」
「……いやいや、そうは言うけどな。俺がデバッグチームやめて結構な時間が経ってるぞ」
ガーデンに来るのも久々だし。照人の言葉に、サーナは少しだけ彼を身近に感じて口端をわずかにつり上げた。
「あ、ウケてるヨ」
「いまのどこに笑う要素が……」
「す、すみません! オーウェンさんから事前に聞いていた情報そのままのお人柄だなと得心したもので……」
風真照人のパーソナリティについての詳細は彼女の知るところではない。しかし、あの堅物のオーウェン・ドレッドノートをして「古くからの友人だから安心して良い」と言い切る親しみやすさが照人にあることは理解できる。
「オーウェンの弟子とは聞いてたけど……アイツから俺について何か聞かされてたってのは全然穏やかじゃないな。なに吹き込まれたか聞いて良い?」
「あ、いえ……それは“言うな”と」
「アッハ!」
彼女が照人に頭を下げると、その様子のどこがツボに入ったのかは分からないが、ゼニスが腹を抱えて笑いながら照人を指さした。
「ハッハッハ! オーウェンらしいや! そら教えてくれるワケないヨ照人!」
「……だよなぁ」
「すみません……」
「いや、サントスさんが謝ることじゃないんで! 頭下げないで!」
……ああ、たしかにあの人の言うとおりだ。
本当にわずかな時間ではあるが、安心して良い、というオーウェンの言葉を肌で感じた。いつもこんな風に、風真照人は臆することなく誰かと繋がりを紡いできたのだろう、と。
……さすが、オーウェンさんやゼニスさんとチームを組んでいるだけはありますね。
彼はリベレイター内で定期的に開催している大会の常連だ。個人戦はもちろんのこと、ゼニスやオーウェンと組んで3on3のバトルにも出場している。世界チャンピオンと元プロゲーマーと共に様々なバトルを繰り広げていることもあり、ここ最近、照人のプレイヤーとしての注目度は上がり続けている。
「ご一緒出来て光栄です」
だから、素直な気持ちで彼に右手を差し出した。
「こちらこそ。オーウェンの弟子っていうなら安心――っていうか恐縮もんだなこれは」
「師匠のご友人であり英雄……私の方こそ恐縮です照人さん」
「英雄はやめてくれよ、柄でもない。それと『照人さん』じゃなくて『照人』でいいよ、サントスさん歳近いだろ?」
「それであれば、私のことも『サーナ』とお呼びください」
「わかった、よろしくなサーナ!」
「はい、よろしくお願いします。照人」
差し出した手を照人が握手で応じた。
ゲーム内のアバター同士の握手。感触が伝わるわけではないが、きっと彼の手は温もりに満ちていて、堅くこの手を握り返してしているのだろう。
「――サテ、と」
二人のやりとりを見届けたゼニスが、爽やかにウインクしながら肩をすくめた。
「自己紹介が済んだところで、本題に入っても構わないネ?」
「ああ、頼むよ」
こうしてブリーフィングが始まった。
サーナ自身は既に社内の事前ミーティングで承知済みの内容ではあったが、握手を交わした彼はどうやらここに来るまで本当に何も聞かされていなかったらしい。
照人は何度もうなずいたり驚きながら、ゼニスの話す言葉を1つとして聞き漏らすまいと聞き入っていた。
今回、自分たち二人に課されたミッションはただ1つ。
対象デジモンへの接触と、タグデータの受け渡しである。
事の発端はこうだ。
去る一ヶ月前、新たなデジモンがラクーナで発見された。これだけで言えば今更珍しいことではないのだが、見つかった場所が問題だった。
本来、デジモン単体での行き来が不可能とされている秘匿領域――すなわちガーデンにて発見されたのだ。
ガーデンにおけるデジモン個体の初回観測事例はいままでになく、現れた当初はI.D.E.A社内がざわついたのをサーナはよく覚えている。
そのデジモンは現時点で言語能力をもたず、意思疎通が難しい状態だった。それゆえに、保護観察という名目でデバッグチームを中心に、ガーデンで過ごすそのデジモンの様子を見守りながら接触の機会を覗っていた。
しかし、一週間前に事態は急変する。
デジモンがガーデンから姿を消したのだ。
前述の通り、ガーデンはデジモン単体での行き来をシステム的にブロックしており、デジモンがガーデンを訪れるにはGMの許可とテイマーの同行が必要不可欠とされている。
だというのに、問題となっているそのデジモンはガーデンから誰の力を借りることもなく抜け出して見せた。
これは一昨日に判明したことなのだが、かのデジモンには特別な能力が備わっていた。
「……突出したハッキングスキル、とでも言おうかナ」
どうやらインターネットそのものの構造にアクセスすることで、あらゆる端末やアプリケーションへの移動・干渉が出来るというのだ。
あのデジモンの前にはいかなるセキュリティも意味を成さない。おそらくガーデンに突如として現れたのもこの能力によるものだろう。
「待て、そしたらそのデジモンはもうラクーナにいないってことか……!?」
「いや、幸いにして最悪の事態は免れているヨ。リベレイターのマップデータを全スキャンした結果、まだゲーム内にいることが確認されているンだ。何度も移動を繰り返してはいるケドね」
あらゆるセキュリティの無効化。危険な存在ではあるが、これもまた幸いなことに悪意をもってその能力を振るっているわけではないらしい。それどころか、自分自身でもハッキングスキルを制御できていない様子だという。
「ただ、元来ネットに転がる情報に影響を受けて変質を繰り返すのがデジモンの特徴であり、デジモンたる所以でもある。早急な対応が必要なんだヨ」
「保護……か」
「まぁ先述の通り、ハッキングスキルがある時点で捕獲は不可能なんだが――で、あれば。せめてその位置情報を正確に、常に把握できるようにしておきたい。……あのデジモンのためにもね」
そこで、白羽の矢が立ったのが風真照人だったというワケだ。
「いや、説明されても納得はいってないからな俺は。もう俺はデバッグチームじゃないんだぜ? そのデジモンのことは心配だけど、それこそ今いる現役デバッガーの誰かに頼むべきじゃないか」
「ツレないことを言うなよマイフレンド照人。ボクとキミの仲じゃないか」
「そうは言ってもな……一般プレイヤーが協力するのも体面が悪いだろ、I.D.E.Aの」
ここで、初めてサーナは口を挟むことにした。いまラクーナで起きている“問題”を、照人に正しく伝える必要があったと判断したからだ。
「実はいま、他のデバッガーたちはみんな別件に追われているんです」
「別件?」
「はい。件のデジモンがガーデンから抜け出す前後でラクーナ各地に現れ始めたんです……影のようなオブジェクトが」
影、というより正しくは“靄(もや)”のようなオブジェクトだが、いまのところデバッガーの間では「影」という呼称で統一されている。
その影は全長150から200センチという、まばらではあるが人間の大きさに近いものがほとんどで、プレイヤーが近づくと、接近者の身体を通り抜けて霧散する行動が確認されていた。
通り抜けられたその後のアバターに異常がないことは確認済み。また、開発者側が仕込んだイースターエッグではないことは、ソースコードを総ざらいした姚青嵐による調査で明らかになっている。
「……ということは、デジモン?」
「そうとも言い切れないんです。なにせ影そのものは言葉をもたず、なおかつ実体も存在しない。アバターやデジモンが視認する以外、あらゆる計器で観測ができていないことから、デジモンとはまた異なる存在と見立てるのが自然です」
いまのところ無害なことから、ラクーナというよりデジモンリベレイターというシステムのバグ――というのが運営側の総意だ。
「謎のデジモンやら影やら……きな臭くなってきたな」
「よく分かってるじゃナイか。きな臭いのはキミの専門だロ? 英雄・風真照人」
「勝手に専門にするなって。英雄でもないし、みんなが考えるほど大したヤツじゃないよ、俺は」
「このボクやオーウェンと肩を並べてプレイできる人間がどれだけいると思っているンダ。自己評価が低すぎるのは時にイヤミに聞こえると思うゼ、ボクは」
「むう……」
いまいち浮かない表情を浮かべる照人をよそに、話はココまでだ、とゼニスが切り上げる。
「かつてラクーナを救ったキミに、一時的にデバッガー権限を与えることは上も了承済みなのサ。それに権限を濫用しないようにお目付役もつけてるだロ? 会社の体面なんかキミが気にする必要はナイ」
「サーナに迷惑かけてるってコトじゃないか」
「私のことはお気になさらず。オーウェンさんの友達がどういう方なのか、間近で見られるのはむしろ光栄です」
「余計に緊張するんだけど……」
「やらないイイワケを探してもムダムダ。分かったらサッサと現地に向かってくれヨ。終わるころにはボクも退勤時間だ。次の大会に向けての調整会、楽しみにしてるゼ」
「わぁかったよ……それじゃ同行たのむぜ、サーナ」
「はい!」
ようやく決心がついたのか、照人がブリーフィングルームに退出用のポータルを開く。
効果音と共に自分と照人の足下に円形の光が展開した。
そのときだ。
「ああそうだ、ひとつ伝え忘れていた」と。
ゼニスがポータルを開いた照人に声をかける。
「――ジェムモン。キミらがいまから探しに行くデジモンの名前だ、覚えておくとイイ」
時静領域アンバーリメインズ、その遺跡の奥底。
物々しい石造りの壁や調度品に囲まれるこの空間を照らすのは、石柱に宿ったいくつかの灯火だった。
本来デジモンリベレイターのメインシナリオで訪れる必要があるため、多くの人々が行き交うこの場所にはいま、照人やサーナ以外のプレイヤーは存在しない。それもそのはず、サーナが事前に申請してこのダンジョンは「システムメンテナンス」の名目で昨日から封鎖済みだからだ。
「……あれがジェムモンか」
目標はあっさりと見つかった。
白い体躯に、首や尻尾を覆う灰色の体毛。額をはじめとした身体の随所に宝石が散りばめられた、可愛らしい見た目の小さなデジモンだった。
「このブランクカードを投げれば位置情報の共有が完了します。お疲れ様でした、照人」
「こんなにあっさり行くなら俺が出てくる必要は――いや!」
照人の鋭い視線に、サーナも遅れて反応する。
自分たちの視線の先に、確かにジェムモンはいる。しかし、ジェムモンだけではなかった。
3――否、4体のオブジェクトが、保護・観察対象のデジモンを取り囲むように“立って”いた。
あれこそまさしく、先に照人へと伝えた問題そのもの。影が、群れを成してそこにいた。
「影の複数体確認は初めてです……! 注意して――って、照人!? なにしてるんですか!? 冷静になってくださいッ!」
思わず語気を強めた。
彼は影を見るなり、なんのためらいもなくD-STORAGEを展開したのだ。
「俺は冷静なつもりだぜサーナ! バグで生まれたオブジェクトがデジモンを取り囲むなんて絶対普通じゃない……放っておけるかよ!」
「だからって! カードバトルが通じる相手じゃないですよ!」
「カードじゃなくても、毒が失くなったいまのラクーナなら……! サーナはブランクカードを使って任務を優先してくれ!」
すでに聞く耳は持っていないといわんばかりに、照人のD-STORAGEが強い輝きを放つ。
だが緊急事態――のようにみえる――この状況では判断の遅れが致命傷になりかねないのはよく分かった。ジェムモンの表情にも不安の色が窺える。影は「招かれざる客」であることは自明だ。
「ッ、了解! ジェムモンの保護を最優先に動きます!」
「さっすがアイツの弟子、話が早くて助かるぜ……! さてッ!」
D-STORAGEのデジタルコンソールに、照人がすばやく指を滑らせていく。
「お前はお前で話は全部聞いてたよな、力を貸してくれ――!」
瞬間。
応、の声と共に照人のD-STORAGEから姿を現すデジモンが在る。
赤い角、乳白色の仮面、緑色の羽毛を持つ、鳥竜型デジモン。
――プテロモンだ。
「久々に面倒ごとに巻き込まれたなァ、ショート!」
「まったくだ! だけどアンチェインと一緒に守ったこのラクーナを――デジモンたちを放っておけない!」
「ああ、そうだな……なら!」
「待ってろジェムモン――」
プテロモンと照人の声がシンクロする。
まるで何度もその言葉を口にしてきたかのように、完璧なユニゾンで。
「「――助太刀するぜ、この俺たちがなッ!」」
THEY WILL RETURN IN THE ≪NEXT ACT≫.

