DIGIMON LIBERATOR

  • X

novel

DEBUG.2-1

 突き抜けるような青空の下、強い風が来訪者の肌を撫でる。
 立ち並ぶ高層ビルの隙間に吹き込む、いわゆる「ビル風」だ。普通なら通りを歩く人々に吹き付けるそれに、誰もが迷惑そうに目を閉じたり、服を押さえたりする。

 けれど今日、そこに立った眼鏡の少年──デバッグチームの1人・サイキヨは、その小柄な体を吹き飛ばしそうなほどの強風を受け、どこか心地よさそうに金色の混じった髪を揺らしていた。

 心地いいのは、きっとその風に緑のざわめきが混ざっているからだ。少年は思う。
 ラクーナの一角・侵森都市エメラルドコースト。人類が滅びたあとの地球を思わせる、立ち並ぶビルの壁面にまで草木が茂り、風に枝や葉を揺らしてささめいている。
 ただの仮想現実と割り切るのは簡単だが、こうしてあまりにリアルな廃墟群を見せられると、人類のちっぽけさみたいなものを感じて、不思議と厳粛な気分になる。
 サイキヨが今いる場所は中心部から少し離れていることもあって、チュートリアルに訪れた賑やかなビギナーもいない。あたりを包む静けさが、彼には好ましかった。

「ちょっと、キヨちゃん、吹き飛ばされるよ!」

 と、静寂に甲高い声とささやかな羽音を混ぜながら、サイキヨの背後から小さなデジモンの影が現れる。
 黄色の体にこげ茶色のしま模様。見るからに蜂だ。丸みを帯びたパーツやつぶらな瞳にはぬいぐるみのようなかわいらしさがあるが、鋭く伸びた針が、そのデジモンの体を彩る警戒色が飾りではないことを物語っていた。

「強い風が来たらちゃんと隠れんと。キヨちゃんちっちゃいちゃけん 」

 そのデジモンが本気で心配そうに言ってくるものだから、サイキヨは眉をひそめ、眼鏡を持ち上げた。

「その小さな僕に隠れて動けずにいたのは君だろ。ファンビーモン」
「しょうがないやん。私は簡単に吹き飛ばされてしまうし、そうしたら探すのに苦労するのはキヨちゃんやろ」

 ファンビーモンと呼ばれたデジモンが、ぶんぶんと飛行音を立てながら何故か自慢げに反論してくるものだから、サイキヨはため息を漏らした。

「あー、ため息。あんまダルそうにしてると、ついてってあげんよ」
「いや、ここに来ようって言ったの、ファンビーモンだろ」

 窘めるように言ってくるファンビーモンに、サイキヨは肩をすくめて言う。今日はパートナーに誘われて、用も分からずエメラルドコーストまでやってきたのだ。
 しかし、彼の言葉に、ファンビーモンはきょとんと首を傾げた。

「いやいや、キヨちゃんやろ。テキトーなこと言っても騙されんよ?」
「……は?」
「……え?」

 ぽかんと口を開けて顔を見合わせる1人と1体の間を、再び緑色の風が吹き抜けた。

DEBUG.2-1サイキヨ

「だって、今日のキヨちゃん、ずっとブッチョーヅラで考え事しよったやろ」
「うん、それは認める。それで?」
「どうしたんやろなーって見よったら、エメラルドコーストのマップば開いてブツブツ言いようっちゃもん」
「ブツブツ言ってたかはともかく、確かにマップは見てた」
「やけん、きっとエメラルドコーストになにか大事な用があるっちゃろうな、と思って、私から行こうって誘ったん」
「ほら、ファンビーモンから誘ってるじゃんか」
「……たしかに」

 と、いうわけで。言い出しっぺがどちらかでしばらく言い合った挙げ句、ささやかな論戦はサイキヨの勝利で幕を閉じた。

「でも、キヨちゃんの顔は行きたいって言いよったし」

 それでもなお食い下がる様子のファンビーモンに、サイキヨは呆れたように首を振り、変化に乏しい表情をわずかに和らげた。

「まあ、行ってみたいって考えていたのは確かだよ。ありがとう。ファンビーモン」

 ファンビーモンは洞察力が鋭い。相手が言葉や行動の裏に隠した言いたいこと、やりたいことをまるで蜜のように吸い上げて、その活発な行動力と優しさで手を引いてくれる。
 それはサイキヨのようにナイーブで気難しい、「子供らしくない」とか「かわいくない」という評価をされがちだった11歳の少年にとっては、時に大きな救いで。 ファンビーモンと出会ってから、彼の人生は確かに大きく変わった。いずれ壊れるもの、と割り切っていた人との繋がりをつくることに、少しだけ積極的になった。

 だから、いつも助かっている。そんなニュアンスが込められたサイキヨの感謝の言葉に、ファンビーモンも不満げだった表情を潜め、少し照れたように触覚をピクピクと動かした。

「それで? 結局キヨちゃんの考え事ってなんやったん?」

 まあ、今回はいささか先回りしすぎだけど。そう考えながら、サイキヨはファンビーモンにも見えるようにメニューを開いた。

「実は、ユウキから話を聞いてね」
「ユウキちゃん?」

ユウキ。サイキヨと同じデバッグチームのメンバーで、βテスト時代からの仲だ。交友関係が狭いサイキヨにとっては数少ない、仲間、友人と言える存在だ。
 彼女のパートナーで皮肉屋のインプモンも、気遣い上手のファンビーモンとは仲が良く、サービス開始から1年が経った今でも何かにつけて話すことが多い。
 最初に話しかけてきたのは彼女の方だった。明るく強烈なキャラに最初は困惑し、振り回されもしたが、だんだんとサイキヨも、自らがつかんだゲームプレイのコツやデジモンの知識を教えるようになった。
 そうして気が付けば、サイキヨは彼女から「シショー」と呼ばれるようになっていた。
 デジモンカードゲームのプレイ歴はほぼ同じなのにである。歳も向こうの方が10は上なのに、である。サイキヨも特に悪い気分はしないため、呼び方の訂正を求めたりはしていないのだが。

「ほら、前に話したろ。ユウキが妙なカードを手に入れたって話」

 ファンビーモンは頷く。暴走したNPCからドロップした見たこともないデジモンカード。そしてそれを使い一度は負けた相手に見事リベンジを果たしたユウキとインプモンの話は、その不可思議さからサイキヨたちをはじめ、チームメイトの間で話題になっていた。

「ユウキのやつ、暴走NPCを倒したってことで上機嫌で、というか調子に乗って、メインシナリオのバトルに挑戦しようとしたらしいんだよ」

 メインシナリオは、NPCと話したりバトルしたりしながら、ラクーナで繰り広げられる物語を楽しむデジモンリベレイターの主要コンテンツだ。
 対人対戦だけが目的なら不要ではあるのだが、ラクーナの運命を巻き込む壮大なストーリーやストーリー限定の報酬を求め、多くのプレイヤーがチャレンジしている。
 デバッグチームもその例外ではない。任務である暴走NPCとの戦いは、敗北すればデータが破損する恐れがある。ユウキとインプモンがしたように、見知らぬカードで組んだ新デッキでいきなり任務に挑むというのは、普通に考えるとちょっと、ちょっと思い切りが良すぎるのだ。
 だから、デッキの調整や腕試しはメインストーリーをはじめとした通常のバトルで済ませておくのがセオリーになっている。

──のだが、ユウキたちは見事にその逆をやったらしい。

「それで、意気揚々とエメラルドコーストの遺跡に行って」
「行って?」
「ボスの使うトラロックモンに〝こてんぱん〟にされたって」
「あらら」

『いやー、もー全然だったよ! トラロックモンが出てきて、切り札だーと思って、効果理解しようとしてるうちにドーンでズギャーンからのバーンて感じ!』

img_01

「──って言いながら、インプモンに引きずられて反省会してた」
「目に浮かぶねえ……」

 サイキヨの短い説明だけでも、ユウキとインプモンの騒がしいやりとりをありありと想像することができ、ファンビーモンは苦笑した。彼女たちのそういうところは、出会ってから今まで変わらない。

「で、もしかしてキヨちゃん。ユウキちゃんが負けた相手に挑戦すると?」
「そうだね。そのつもり」

 サイキヨの返答に、ファンビーモンはきらりとその瞳を輝かせる。

「もしかして、敵討ちがしたいとか?」
「まさか、そんなんじゃないよ」

 即答で否定され、ファンビーモンは目をぱちくりさせた。

「あれ、そうなん? てっきりユウキちゃんの代わりにリベンジするんかと思っとったのに 」
「僕はそんなムダなことしない」

 サイキヨは言う。ここで彼が代わりに相手を下したとしてもきっとユウキの気分は晴れない。カードゲームはある意味で自分との戦いだ。ましてや相手は繰り返し挑戦できるNPC。自分で練り上げたデッキとプレイングで乗り越えなければ、達成感は得られないだろう。

 でも、とサイキヨが言う。

「ユウキが負けた相手だっていうならちょうどいいと思ったんだ。いつまでも、ユウキばっかり注目の的にしておくのもシャクだし……新しいデッキの使い心地も確かめたかったしね」

 そう言いながら彼は腰のD-STORAGEを操作し、ライブラリを展開する。この1年、彼に興味を持たない両親からおざなりに渡された多額の小遣いでそろえたカードリストはなかなかのものだ。
 けれどその中でなお、数枚のカードが異彩を放っていた。それを見たファンビーモンが目を輝かせる。

「……あ、それ、新しいカードやね!」

 少し時間をさかのぼり、サイキヨとファンビーモンが、ユウキたちから奇妙なカードを手に入れた経験を聞いた少し後のこと。
 いつものように任務で暴走NPCを倒したあと、サイキヨはD-STORAGEに奇妙な通知を発見したのだ。

【テイマーカードのアビリティアイテムを入手しました】

ユウキが話していたのと同じ、突然のアイテム入手。
 話に聞いていたとはいえ、それは実際に体験するとあまりに不可解な事象だった。
 デバッグチームとしては当然見過ごすことはできない。けれど、それ以前にプレイヤーとしてのサイキヨの目が、アイテムに書かれた特徴的なテキストに吸い込まれた。

【メイン:このテイマーをレストさせることで、自分のデジモン1体を自分の表向きのセキュリティのデジモンカードに進化させる。この効果で進化したなら、自分の手札から、特徴に「ローヤルベース」を持つデジモンカード1枚をセキュリティの下に表向きで置ける】

 それは、サイキヨが操るデッキと、デバッグチームの中でも特異とされる戦術を強化する者だった。

セキュリティに置かれる表向きのカード。最初にユウキの前でデッキを使ってみせた時、訳が分からず目をぱちくりさせていたのを覚えている。

 セキュリティは裏向きで伏せられたカードが置かれる場所だ。プレイヤーを守る防御壁の役割を果たし、ゼロの状態で攻撃されれば敗北になる。
 セキュリティからめくられた際に効果を発揮するカードもあり、いつ攻撃するのか、どう攻撃するのか。デジモンカードゲームにおける重要な駆け引きの要素となっている。
 けれど、本来はそれだけ。セキュリティに表向きのカードを置く意味もないはずなのだ。

 けれどファンビーモン達〝ローヤルベース〟のデジモンにとって、セキュリティはただの身を守る盾ではない。

「ん、どうかしたん?」
そばにやってきたファンビーモンもサイキヨの手元を覗き込み、目を見開く。

「キヨちゃん、このカード。それに〝ローヤルベース〟って……!」
「ああ、この現象がユウキの言ってたものと一緒なら」

 言葉を続けようとするファンビーモンを遮り、サイキヨはカードリストを開く。
 予想通り、そこには見覚えのないカードが追加されていた。
 効果欄を見てみれば、同じように、セキュリティに置かれた表向きのカードに関するテキストが記されている。

「これは、もしかして」

サイキヨは新しいカードたちをじっと見つめる。それは、カードと理解し合おうとするように、語りかけているように見えた。

「……ああ、そうか」

 やがて、サイキヨがぽつりと呟いたその言葉に、ファンビーモンは顔をあげる。

「キヨちゃん?」
「ファンビーモン、朗報だよ。このカードたちのおかげで、僕たちの戦術は完成した。巣にはリーダーが必要。当たり前のことなのにどうして気づかなかったんだろう」

 そうして、彼はファンビーモンに向き合った。

「ファンビーモン。〝ローヤルベース〟の——僕たちの〝女王〟になってくれるかい?」

……巣を作る、か。

 時は戻ってエメラルドコースト。ファンビーモンと話しながら組み上げたまったく新しいデッキを眺め、サイキヨは息をついた。その表情の変化を敏感に感じ取ったのか、ファンビーモンが彼の顔を覗き込む。

「どうしたんキヨちゃん。実戦前に不安になった?」
「そんなことない、怯える必要がないようにメインシナリオを腕試しの場所に選んだんだ」

 まあ、でも。とサイキヨは呟く。

「このデッキも、君の言ってた戦法も、全部未知数だ。正直どうなるか分からない。不思議な現象と一緒に現れたカードが強くもなかったら、ちょっとガッカリだろ?」
「ふーん……」

 そう言う彼の表情をじっと見て、ファンビーモンはぱっと顔を輝かせた。

「そっか、キヨちゃん、そのデッキ、すっごく自信作なんやね!」
「え」

 思いもよらないパートナーの言葉に、サイキヨは目を丸くする。意表をつかれたその表情は、彼にしては珍しく、11歳の子ども相応のあどけないものだった。

「自信作やけん、ちゃんと通用するかドキドキするし、精一杯やっちゃろうってブルブルもするんよね。一緒に作ったデッキでキヨちゃんがソワソワしてくれとるの、私嬉しいわ」
「……ファンビーモン」
「でも、ソワソワしとったらきっと、勝てるもんも勝てん。キヨちゃんはいつものクールなキヨちゃんでサイキョーっちゃけん、何も心配する必要なんかない」

 だから、ファンビーモンはぶうんと羽音を立ててサイキヨと向き合う。

「やけん、サイキョーでおってね。キヨちゃんはローヤルベースの〝軍師サマ〟なんやけん!」
「軍師……」

 その響きは悪くないな。そんなことを考えて、サイキヨは眼鏡を持ち上げる。

「分かった。ありがとう。ファンビーモン。もう大丈夫だ」

 改めて顔をあげて、前を向く。歩くうち、既に周囲の様子は変わっていた。深い緑のジャングルに立ち並ぶピラミッドや石造。中央アメリカの古代遺跡のような風景だ。
 先ほどまでとは違う、生命力にあふれた緑。賑やかなジャングルの生き物の気配まで感じるリアルさだが、その喧騒はもう彼の耳には入らなかった。
 見据えるのは、目の前に立つNPCと、これから繰り広げる戦いの景色だけ。

「ゲーム・スタートだ。僕たちで、最強の巣を作ってやろう」
「任せて、キヨちゃん!」

 そうパートナーと声を掛け合って、サイキヨはD-STORAGEに手をかけた。

To Be Continued.

DIGIMON CARD GAME