DEBUG.2-2
終末世界のような場所から、日本家屋の並ぶ区域まで。侵森都市エメラルドコーストに点在する多様な緑色の風景。
その中でも、雨季のジャングルを再現した遺跡地域は、静けさを特徴とするこのエリアにおいて異質な、みずみずしい熱気に溢れていた。
一段と濃い緑に、どこからか聞こえる鳥や動物の鳴き声。仮想現実だと知らなければ、天高くそびえる木の陰から現れるジャガーに怯えなければいけないに違いない。
……まあ、もしも、の心配なんてしてる場合じゃないか。
サイキヨは額から垂れる一筋の汗を手の甲で拭い、表情一つ変えずに目の前で展開されている戦いの場に意識を向ける。
中央アメリカの古代文明を思わせる、ツタの絡まった石造りのピラミッド、その前で彼と、いけにえを捧げる神官のような格好をしたNPCは相対している。
NPCは見た目通りと言うべきか、多色デッキ使いだ。
場には既に強力なレベル6が2体。
城砦をいただく巨大な亀・エルドラディモン。
巨大な牙を光らせた古代獣・サーベルレオモン ACE。
デジモンの姿を直に見ることのできるラクーナでのバトルにおいて、2体の強大なデジモンが与えてくるプレッシャーは実際のスペック以上に大きい。
いいや、違うな。サイキヨは思う。これで終わりじゃない。まだ次がある。これはそういう類のプレッシャーだ。
瞬間、ジャングルに熱い風が吹いた。サーベルレオモン とエルドラディモンを強い光が包む。
「ジョグレス進化か……!」
DEBUG.2-2 GOOD GAME
眼鏡の奥を少しだけ険しくするサイキヨの頭上に、ざあっと突然のスコールが降り注ぐ。仮想現実であるこの場所において、どんな雨も現実の体を濡らすことはない。そのはずなのに、あまりの圧力に足を降りたくなるほど、その豪雨は強烈だった。
雨のカーテンの先に現れるのは、雨と雷の化身。大地に生きる者たちの信仰を一身に集める、穏やかにして苛烈なデジタルモンスター。
「トラロックモン」
サイキヨが呟くと同時に、地面が盛り上がった。当然だ。神は一人でやってきたりしない。
【トラロックモンの効果】
大地から呼び起こされたのは、ジャガモンとトノサマゲコモン。
コストなんて神には関係ないと言わんばかりの、強烈な展開だ。これがユウキの言っていた「ドーンでズギャーンからのバーン」なのだろう。初見でこれをくらったら混乱するのも無理はない。
スコールがほほを強く打つ。相手は神で、おまけに場所が場所だ。自分たちが豊かな自然を侵す悪者になったような、周囲のジャングルのざわめきが全て敵になったような錯覚すら抱かせる。
「落ち着いて、キヨちゃん」
と、サイキヨの頭上から聞きなれた声が響いた。相変わらずよく気が付くパートナーだ。彼はゆるく微笑み、声を上げる。
「大丈夫だ。ファンビーモン。いや──ヴェスパモン。君は女王になるんだぞ。細かいことは僕に任せて、自分の玉座の完成を見届けているといい」
サイキヨも、手をこまねいて向こうの展開を見ていたわけではない。ローヤルベースたちの効果でセキュリティに表向きのカードを増やし、テイマーカードによってより強力な巣を作り上げてきた。
見慣れない動きを警戒したNPCはセキュリティやキーとなるデジモンを攻撃してきたが、巨大な熊蜂「フォージビーモン」や槍とビームシールドを携えた蜂の騎士「ヴェスパモン」がそれを食い止める。
それだけではない。ワスプモンやキャノンビーモンと言ったデジモンたちも飛び交い、相手をコントロールしていく。
そうしてサイキヨの頭上で「それ」はだんだんと大きくなる。
最小単位はごくごく小さな正六角柱。一見無意味に見えるその一つ一つを大切に守り、集め、組み上げていく。時には命をかけて。
それが彼らの「基地」であり「巣」──空中秘蜜基地ローヤルベース。
……よし。
サイキヨは雨で濡れた髪をかき上げる。相手のプレッシャーに平静さを欠いてしまったものの、改めて見てみれば戦況は決して悪くない。
むしろ、巣作りは順調で。相手はこちらの得体のしれない動きを警戒し、打って出てきたのだ。俯瞰してみれば、イニシアチブを取っているのはこちらだ。
「相手のデッキを知らない時ほど、動揺せずに真っ直ぐ自分の動きを通すべきなのさ。ユウキ」
ここにいない自分の友人に半分諭すように、半分煽るように口にして、サイキヨは完全に冷静さを取り戻した。
そして、ターンが回ってくる。
自分のセキュリティには表向きのカードが4枚。
「時間だ」
サイキヨが指を鳴らすと同時に、彼のパートナーが光に包まれていく。
「オッケー! キヨちゃん。私が女王様になるとこ、見とってね!」
光はローヤルベースの頂点に向かって飛んでいく。
その行く先には黄金の玉座がある。蜂の意匠があしらわれ、腕ユニットと6本の多目的アームがつけられた自立型の玉座・ローヤルスローンだ。
そして、玉座に受け止められ、光の中からその姿を現したのは、虹色に輝く6枚羽をはためかせる女王蜂──クイーンビーモン 。
ローヤルベースの統率者にして設計者は、その高貴な姿で、ゆっくりと玉座に腰を──。
「あーーー! ちょっと、そっちの装甲手薄になっとる! キミキミ、フォローに回ってあげんね! あとそっち、さっきから見よったけどずっと休憩取ってないやろ。エラーの元やん。休んで休んで!」
──いや、玉座の上に立っちゃってるんだけど。
サイキヨは呆れたようにクイーンビーモン を見上げる。ローヤルスローンがいささか大きすぎるというのもあるのだろうが、クイーンビーモン はまるでステージの上のアイドルのように玉座の上で忙しく動き回っている。巨大な基地の隅々まで気を配って、指示を出したり、時にはファン(?)サービスなのか、働き蜂たちにウィンクを送ったり。
「……クイーンビーモン 」
「あ、ごめん。キヨちゃん。ここ見晴らしいいけんつい」
面倒見が良いというか、良すぎるというか、なんとも自分のパートナーらしい話だとサイキヨは思う。もしかしたらそれが、彼女なりの女王らしさなのかもしれないが。
「まったく、今は戦いの最中だろ? 女王様」
サイキヨは唇にゆるい笑みを描きながら、パートナーに告げる。
「僕とみんなで勝利への道筋は整えておいた。号令は君がかけるんだ」
「そ、そうやね! みんなせっかくここまでやってくれたけんね」
こほんと咳払いをして、クイーンビーモン は手にした扇を開き、仮面の下の緑色の瞳をきらりと輝かせた。
「……じゃあ、改めて。みんな、出撃ばい! 私たちの強さ、見せつけちゃろ!」
「行こう、クイーンビーモン。アタックだ」
まずは惜しみなく、女王からのアタックを仕掛ける。
狙うは相手のセキュリティだが——。
「女王のお触れだ、出てきてくれ」
——セキュリティを減らすことと同じくらい、クイーンビーモンのアタック時効果を発動させることも重要だった。
女王の能力は、セキュリティからローヤルベースのデジモンを喚び出してくれる。
【アタック時:[ターンに1回]自分の表向きのセキュリティから、特徴に「ローヤルベース」を持つデジモンカード1枚を支払う登場コスト-8で登場できる】
その号令に応えるように、秘蜜基地から一条の光が飛び出す。戦場に降り立つのは、金色の鎧に身を包んだ騎士。エリート中のエリートが集められた秘蜜部隊「ローヤルコマンド」の一騎・タイガーヴェスパモン。
クイーンビーモンの効果によって登場コストは4だ。
【登場時/進化時:自分の表向きのセキュリティ1枚ごとに、相手のデジモン1体をレストさせる。その後、相手のターン終了まで、相手のデジモン全てはアクティブにならない】
タイガーヴェスパモンの出撃によって、セキュリティに表向きのカードは残り3枚。騎士はその舞うような動きで相手を混乱させ、トラロックモン、トノサマゲコモン、ジャガモンの動きを封じる。
次のターン、あのデジモン達が動き出すことはない。
これで戦況はイーブン——いや、サイキヨ側に傾いた 。
「……計画通り」
気が付けば、蜂の羽音がジャングルのざわめきをかき消していた。
巣は盤石で。それを守る兵たちも集っている。頂点に立つ女王から、働き蜂の1体に至るまで、考えていることは同じ。
群れはすべて巣のために、巣はすべて群れのために。
それが蜜蜂たちが掲げる黄金のドクトリンだ。
相手がこれからどんな手を使ってこようが、受け止めて、倍にして返す。
「キヨちゃんとローヤルベースの結束は、誰にも破られないっ!」
ああ、そうか。クイーンビーモンの言葉に、サイキヨは心の中で頷く。
みんなと手を繋いで戦うなんて、考えたこともなかった。けれどユウキに声をかけられて、その後出会ってファンビーモンに手を引かれて。
こういうのも、悪くないな。なんてことを思う。
「ふふふ、どうかしたん、キヨちゃん」
玉座からこっちに話しかけてくるクイーンビーモン が、お見通しとでも言いたげな顔をしていたから、サイキヨは唇を引き結んで、目に現れる隠しきれない感情を眼鏡の奥に隠した。
せめて勝負が終わるまではクールでサイキョーなままでいたい。だから。
「勝ち筋は見えた、ゲームオーバーだよ。グッドゲーム、おつかれさま」
仲間への信頼は、簡潔な勝利宣言で示すのだ。
「やっぱ、なんやけどさ」
遺跡区域からの帰り道、NPCがドロップしたアイテムの使い方をあれこれ話し合いながら帰るなかで、ファンビーモンがぽつりとつぶやいた。
「なに」
「今日のバトル、ユウキちゃんの敵討ちやったっちゃない?」
「……ちがうって言っただろ。僕はそんな無意味なことしない」
そう返すサイキヨは相変わらずの仏頂面だ。その言葉も本心からのもの。自分の代わりに戦って勝ってもらっても、ユウキは喜ばないだろう。
「ふうん。そんな感じの顔しとったと思ったのに」
珍しく自分の洞察が外れたことに首をひねるファンビーモンに、サイキヨは肩をすくめる。
「だけど、ユウキとインプモン、多分今は反省会が終わって、再戦のために調整中だろ」
「きっとそうやね」
「でもきっと煮詰まって、2人して考えるのをやめてる頃だ」
「キヨちゃんもなかなかやるやん」
幾度となく見てきたことだ。ユウキとインプモンは分かりやすいし、別にファンビーモンのような観察力が無くても想像はつく。
「そうなったときに、ユウキたちが最初に泣きついてくるのはきっと僕たちだ」
「キヨちゃん……」
「その時のために、準備しておかなきゃと思ってさ。わからない、じゃ『シショー』として格好つかないだろ?」
事もなげに言ったように振る舞っているが、サイキヨの耳は少し赤い。照れを隠そうとしているのを見抜くのには、ファンビーモンが目を働かせる必要すらなかった。
「キヨちゃーん!」
「うわ、なんだよ!」
感極まったようにサイキヨの胴に抱き着くファンビーモンに、彼は驚いて声を上げる。
「どうしたんだよ。ファンビーモン」
「ねえキヨちゃん、せっかくやけんもう一つ聞いてもいい?」
「……いいけど」
警戒するように眉をひそめながらも、サイキヨは頷く。ファンビーモンは嬉しそうに目を細めた。
「キヨちゃんは、どうしてラクーナに来とるん?」
「どうして、って」
その問いに、サイキヨは困ったように首をかしげる。
「色々だよ。カードを買ったら使い心地を確かめたいし、メインシナリオの続きも気になる。当然デバッグチームの任務もあるし、そうじゃなくても、ログインしてないとユウキがうるさいしね」
「……! そう、そうやね!」
「わ、だからなんだよ!」
ファンビーモンは笑顔を大きくして、サイキヨに抱き着く力をさらに強めた。
──なるべく家に居たくないんだ。父さんと母さん、いつも喧嘩ばかりだから。
一年前は、同じ問いにそう答えていたことをサイキヨは覚えているだろうか。ファンビーモンは思う。
ラクーナに来る前も、塾やゲームセンターで時間を潰して、なるべく家に帰らないようにしていたという。βテストでユウキと知り合ったが、それでも必要以上に距離を縮めることはなかった。人と人の絆は、簡単に壊れると知っていたから。
……うまくやっていけるか、さすがの私も心配やったなあ。
もしかしたら彼にとってはここは逃避の場所なのかもしれないと考えたこともあった。ラクーナの中にしかいない自分には、本当の意味で彼の助けになることはできないのではないかと悩んだりもした。
けれど、彼は確かに変わり始めている。少しずつではあるけれど、ユウキやインプモン、自分たちとの出会いを通して。
一年前の彼も覚えが早くて頭の良い少年だったけれど、きっと今日のように、全体を見て、仲間と協力することがカギになるようなデッキを使いこなすことは、きっとできなかっただろう。
少なくとも、サイキヨが誰かと手を繋げるようになったことはうそではない。そのことが、ファンビーモンにはとても嬉しかった。
「ファンビーモン、そろそろ離せって」
「ふふ、ごめんね」
なおもにこにことしながら、ファンビーモンは彼の隣に戻る。
「キヨちゃん、帰ったらもうログアウトする?」
「いいや、手ごたえあったし、もう少しこのデッキで戦ってみたい。誰かに相手してもらうよ」
「そうやね、それがいい! みんなに、キヨちゃんと私たちがどんだけ仲良しか、思い知らせてあげんとね!」
「はあ? そういう話じゃ……」
「いいけん、行くよ!」
ファンビーモンが音を大きくしてスピードを上げる。
「あ、待てって!」
フォローしてもらってばかりのようで、ファンビーモンもファンビーモンで好きなようにやっているのかもしれないな。そんなことを思いながら、サイキヨもあわてて走り出す。
エメラルドコーストの風が、1人と1体分の賑やかな話声を、空の向こうへと運び去って行った。
To Be Continued.
※カードは開発中のものです。実際の商品と異なる場合がございます。