DEBUG.3-1
そこは、空間と呼ぶにはあまりにも広い。
四方を壁に囲まれているとは聞いているが、どこまで見渡しても壁らしきものは見当たらない。代わりに、大小様々な箱が浮かんでいる。そしてその中央には、巨大なD-STORAGEのような建造物アヴァロンがそびえ立っていた。
曰く、寄る辺なき者たちを解放する唯一の楽園。
白を基調としたこの場所の名はガーデン。
E.G.G内部に存在するとされるガーデンは、デバッグチームに属する者しか立ち入ることを許されていない禁足地であり、また彼らが任務を言い渡される“世界の裏側≪バックヤード≫”である。
そこにいま二人のデバッガーと、それぞれのパートナーであるデジモン二体がいた。
白いコートに身を包んだ少女・ユウキと、小悪魔型のインプモン。
対するは、黒いスカジャンを羽織り、下にはミリタリーパンツといった出で立ちの、赤いキャップを被った筋骨隆々の青年。
隣に並び立つは、鎧と呼べるまで発達した筋肉で全身を覆った、赤い体皮の恐竜型デジモン。
リュウタローとそのパートナーティラノモンは、正式サービス開始後に始めた一般プレイヤーでありながら、ユウキやサイキヨよりも前にデバッグチーム入りを果たした先輩にあたる。
「オーケーガイズ。オレたちの任務を確認するぞ!」
魂燃えるヒーロー志望、リュウタロー・ウィリアムズ。
彼が口火を切ると、ユウキは朗らかに笑って手を挙げた。
「り!」
リュウタローは口角を上げながら、白い歯を覗かせて笑みを返す。
その一文字が「了解」を指す言葉だと彼が理解したのは、つい最近の出来事である。
「その“り”っていうの、俺はまだ慣れないんだがなぁ」
重低音が効いた渋みのある声で、ティラノモンが首をかしげた。
その膝に、インプモンが申し訳なさそうに手を付いている。「だよな」と。
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.3-1 リュウタロー
「――と、いうわけだ! 分かりやすい任務だな!」
「うん! 要はイチモーダジンってヤツだねリュウさん!」
彼らが先程デバッグチームの司令塔であるアルテアに言い渡されたのは、簡単に言えば多忙を極めるGMのお使いだった。
平時、デバッガーたちは基本的に一般プレイヤーと同じくゲームを楽しむ立場であるものの、GMたちの手が回らない仕事も請け負うことがあるのだ。
「まったく下らん奴らだ。賞品欲しさにチート行為などとは」
悪態をつくティラノモンに、その場にいる全員が深くうなずいた。
今回、リュウタローたちに要請された任務は悪質プレイヤーの取り締まりである。最近手口が判明したプレイヤー集団は、リュウタローたちも存在だけは聞き及んでいた。
デジモンリベレイター内では、毎週のように小規模ながらも大会が開催されている。現実世界で言うショップ開催のテイマーバトルレベルの規模であり、いくつかのブロックに分けられて開催されるこの大会では、通常では手には入らない参加賞や賞品が用意されている。
ゲーム内で使用可能なアイテムのほか、上位入賞者となれば限定のプロモーションカードなどが手に入るのだが……。
「チート使って脅迫ねぇ。つまんねー奴ら」
インプモンの言う脅迫とは、読んで字のごとくである。
その悪質とされるプレイヤー達は、合計で30人ほどの集団だ。彼らは大会に参加するものの、成績を残すことはない。その代わりブロックの優勝者が誰かを特定し、呼び出したあとチートツールでログアウトを封じてしまうのだ。
そうして集団で囲って、ログアウトを引き換えに大会の賞品を奪い取る。
——このチートツールの恐ろしいところは、プレイヤーが持つ連絡手段をすべて断ってしまうところだ。フレンドへの通話・メール機能はもちろんのこと、GMへの相談窓口である中央府ジュエルの施設への接近すらも出来なくなるという徹底ぶりだ。
しかし、現実世界における行動が制限されるわけではない。
I.D.E.Aのカスタマーセンターへの問い合わせが殺到したことから、今回この事件が明るみに出たというワケだ。
そうして奪い取った賞品を、彼らは現実世界のSNSも活用してゲーム内で釣り合わないトレードを持ちかけている。具体的には、埒外の量のパラレルチップを要求しているようだ。そうして稼いだチップをチーム内で山分けするという行為を繰り返している。
その情勢はいまや一般プレイヤーに広く知れ渡り、大会参加者の減少も見られている。完全に悪循環だ。
「――やりたい放題だな」
ティラノモンが不服そうに天を仰いで、憂さを晴らすようにボウ、と口から一瞬の炎を吐き出した。
「そもそも大会の仕組みを変えなきゃいけねーんじゃねェの? 賞品の変更とかさ」
と、つまらなそうにその炎を睨むのはインプモンだ。
「だって、せっかくのお祭りがダイナシだろ」
「賞品自体に罪はないからなー。でも、インプモンだったらなにが欲しい?」
「いーやめんどくせーから考えねー。そもそもユウキが勝てると思ってないから賞品を想像するだけムダ」
「D-STORAGEに戻ろうかインプモンくん?」
「ガーデンじゃD-STORAGEに戻れないだろーが、残念だったな」
「なにーっ」
「オーケーガイズ、まぁ落ち着こうぜ」
ユウキとインプモンがいつも通り喧嘩を始めようとするものだから、リュウタローはその間に割って入った。大人の男は常に冷静なのだ。
「燃える魂は胸に秘めて冷静に行こうじゃあないか!」
「リュウが一番暑苦しいがな」
「へへ。そう褒めてくれるなよ、ティラノモン」
「お前さんは相変わらず都合の良い耳をしているよ」
ティラノモンのセリフに、また胸の内が加熱されていくのが分かった。
……さすが相棒だぜ!
いつだってティラノモンはリュウタローの胸を熱くする。
幼少期から触れてきたデジタルモンスターという携帯液晶玩具。そのパッケージを飾っていたティラノモンというデジモンがリュウタローは本当に大好きだった。
その存在がいま、自分の背中を預けられる相棒として隣にいる。
こんなに興奮するシチュエーションをかなえてくれるデバッグチームという立場、ひいてはデジモンリベレイターというコンテンツには感謝してもしきれない。
「ってか、そもそもこのゲームにチートなんてあるの?」
ユウキの疑問を否定するように、リュウタローは肩を竦めて首を横に振る
「チート自体は存在するが、大体すぐ発覚してBANしてるんだ」
大抵のチートツールは、よからぬ考えを持った人間がD-STORAGEに細工を施すことでラクーナに持ち込まれる。この方法であれば、カスタムファームウェアという非正規のOSをインストールさせているため、T.A.L.Eに読み込ませた時点で運営側が把握出来るのだ。
「だが、このチートツールは出所が分からないうえに、導入方法もまったくのナゾと来た」
件のチート行為はリアルの通報があるまでまったくその存在を露呈しなかった。まるでゲームのシステムを内部から書き換えて、正規のシステムとして運用しているような不気味さがあるのだ。
そもそもログアウトや通報など対象の行動を封じるツールなど前代未聞だ。加えて、通報があったいまでもツールを使ったという痕跡すら残していない。あまりにも異常だったし、チート行為の域を超越している。
ほとんどバグだ。
「つまり、違法行為をしたっていう“証拠”が残らないんだな! これは困った!」
「証拠がないねぇ。なら、なおさらじゃねーか?」
「ね。私たちが介入しても言うこと聞いてくれなさそー」
「ああ、素直に聞いてはくれない! 絶対!」
インプモンとユウキの言い分はもっともだ。だから肯定するしかない。なにせ向こうも悪いことをしている自覚はあるだろう。
証拠がない以上はルール通りに遊んでいる、という主張をしてくることも容易に想像が付く。
「リュウはそう自信満々に言うがな、だとすればどうするというハナシにならないか」
「聞いてもらえないなら、聞かざるを得ない状況にすれば良いだろ?」
「だからだなぁ。それをどうするかって聞いてるんだ」
「オレには秘策がある!」
……決まった。
リュウタローが勿体ぶって、持って回った言い方でハナシを引き延ばしていたのはこのセリフが言いたいがためだ。なぜならその方が格好いいから。
「え! なになに、教えてリュウさん!」
期待通りの反応がユウキからもらえてリュウタローの口角がわずかに上がる。隣でデジモン二体がやれやれと首を振っているのは思い切って気にしないことにした。
「一週間前にテイマーバトルがあっただろ?」
「うんうん!」
「で、そこでも奴らはいつものように優勝者のログアウトを封じ、賞品を強奪した」
「だからこそ私たちが動くことになったんだよね。通報者が相手のプレイヤーネームを特定できる証拠を撮影してくれたから! これ以上は許せん! えぐすぎ! ちょべりば!」
「お、おいユウキ。なんだそのチョベリバってのは……聞いたことないぞ……」
「お母さんから教えてもらった!」
「答えになってない……」
途中でインプモンが突っ込みを入れたので、話を円滑に進めるためユウキの代わりにリュウタローが説明する。
「いにしえの言葉で“So bad”って意味だぜインプモン。覚えておくと良い!」
予想通り無視された。
「……心ッ底どうでもいいな……」
オーケーガイズ、話を戻そう。
「で、だ。賞品を獲得したアイツらはどうしたと思う?」
「SNSにパラレルチップと引き換えにトレード用の記事あげてたよね……たしかシクパラ10枚相当だっけ?」
「ああ。オレがトレードに申し込んだ」
「へ?」「は」「……リュウ、お前さんなぁ」
三者三様の表情を浮かべて、場が一気に静まりかえった。誰も口を開こうとしない。
どうやら皆が状況を理解できていないようなので、リュウタローは今一度、丁寧に言い直した。
「だから。アイツらのSNSのトレード希望の記事にオレが申し込んだんだ。一番最初に」
眩いばかりの太陽光。広大な砂浜と、石造りの建物たち、そして寄せては返す波がさらに光を乱反射させて、物理的にこのエリアは煌めいている。
雨天を知らず、曇天すら知らずの連晴海岸・ラピスマーリンズ。
ラクーナきっての観光名所とされているこのエリアは、デジモンリベレイターの平和の象徴ともいえるからだろうか。とにかくリュウタローはラピスマーリンズという場所を気に入っていた。
「よりによっても待ち合わせ場所がココとはな」
落札した商品の受け渡し場所に指定されたのはこのエリアだ。
大会が開かれているラピススタジアムタワーのお膝元とは恐れ入る。
「許せないな! どう思うティラノモン!」
平和の象徴であるこのエリアが、薄汚い真似をしているプレイヤーに利用されていると思うと虫唾が走る。
「どうもこうも、どんな場所であれ俺たちがやることは変わらんだろうよ」
「それもそうだな!」
ちなみに、今回の任務に同行するメンツは自分たちと、ユウキとインプモン。そしてサイキヨとファンビーモンの3組だ。
サイキヨに関しては自ら商品の受け取り――つまるところ“犯人”との接触役を買って出ており、すでに先行してラピスマーリンズへと訪れているはずだ。
子供には荷が重いと最初は丁重にお断りしたのだが、彼曰く――
「リュウタローさんが直接出向くと面倒が増えそうだし、相手が僕みたいな子供の方があの人たちも油断するでしょ。だから僕がやる」
――とのことだった。
否定できないのは情けなかったが、確かにこういった潜入捜査に自分は向いていない。
……自己分析も出来る。完璧だな、オレは。
サイキヨは確かにまだ子供ではあるが、自分よりもしっかり者だし、なにより実力もデバッグチームの一員として信頼できる。
だから素直に頼ることにした。
そしてユウキ組も近くの地点で待機中である。
「ああそうだ、リュウ。先程エスピモンから連絡があってな。注意事項がある」
「おおどうした相棒! 注意事項だって?」
「標的が逃走する場合、ラピススタジアムタワーには近づけさせるなとよ」
疑問を返す前に、ティラノモンが続けざまに言葉を紡いだ。
「このあと暴走NPCを倒した新入り候補のテストをタワーで行うそうだ。追い立てるなら別の場所にしろってことだ」
「ラジャーだティラノモン。まぁ逃げる前にお縄についてもらうさ。何よりユウキもサイキヨもいるしな! 仲間がいれば無敵だろ!」
「いつものことながら脳天気だなお前さんは……ま、いざとなりゃ俺が盾になって道を塞ぐとしようかね」
さて、と。
ここからはザ・待機だ。約束の時間まであと数分ある。
少しでも動きやすいように、奴らの逃走経路になりそうなところに目星をつけておくとしよう――と、リュウタローがあたりを見回した瞬間だ。
控えめの通知音が傍らから聞こえてきた。
D-STORAGEだ。
メールの受信を告げる音に、すぐさまリュウタローは反応する。
送り主はサイキヨだ。恐らく標的と接触したのだろう。
【ユウキ、リュウタローさん。僕が子供だって舐められたっぽい。相手が多そうだから早めに来て欲しい。多分10人以上いる。合流地点は――】
なんと、と言わずにはいられなかった。
わざわざ賞品の受け渡しに、複数人が同行する必要があるだろうか? 否、そんなことは断じてあり得ない。必要があるとすれば、想像しうる理由はろくなものではなかった。
「やはりオレが直接いくべきだったか」
「社会人と比べて遊ぶ時間が多い子供。なおかつ大量に持っているパラレルチップ。まぁ確かに、カモだと思われるか」
……本当に?
そんなことがあっていいのだろうか、とリュウタローは身を震わせた。
サイキヨはデバッグチームに所属しているとはいえ、あくまで11歳の子供だ。
そしてデジモンリベレイターはゲームだ。フルダイブ型のゲームとはいえ、あくまで遊戯。楽しく遊ぶものだろう。
そして子供がゲームを楽しむという、ごく当たり前な幸せを脅かす存在がいるということが俄には信じられない。
……なにが自己分析だ。なにが完璧だ。
いくら向こうからの提案とはいえ、結局サイキヨを頼ることを選んだのは自分だ。
いまの自分は最高に格好悪い。憧れたヒーロー像とは真逆の行為である。
だから、リュウタローは自分への怒りに身を震わせたのだ。
「反省会は後にするぞリュウ」
「……オーケー。急ぐとしようか!」
このまま、格好悪い自分でいられるものか。
「頼りにしてるぜ、相棒!」
ラピスマーリンズの中心街。
その路地裏から続く、ちょっとした広場がある。NPCが配置されているわけでもなく、なにか特別なオブジェクトが存在しているわけでもない。普通であれば訪れるようなことがない、街の裏側。
サイキヨ、ユウキ、そしてリュウタローを取り囲むように複数人の男性が詰め寄ってきていた。デジモン達は予めD-STORAGEに入って貰っている。
相手は事前に聞いていたとおり、十数人の集団だった。
「——デバッグチームだかなんだか知らねえケドよ。お前らも所詮は一般プレイヤーだろ?」
「オトリ捜査ごっこって、俺たち怒られる筋合いないんじゃね?」
「そうだよ、そもそも証拠がねぇことに変わりはねぇもんな」
こちらがデバッグチームだということをリュウタローが明かすと、向こうは焦るでもなく勝ち誇ったような顔を浮かべて口々に罵った。
「確かに俺達は一般プレイヤーでもあるが、キミたちは問題なく取り締まれるぞ!」
「ルールの範囲内の話だろつってんだろ! 俺らがやってることはよ!」
……これは困った! まったく話が通じないな!
見かねたサイキヨが、控えめに手を挙げて男達に反論する。
「でも、取引は成立してるんでしょ? おじさんたちが賞品を渡さないならそれはそれで詐欺として通報しても良いんじゃないかな」
「パラレルチップはまだ受け取ってねぇだろうがよ、なぁ或馬(あるば)さん」
輩のひとりが振り返ると、そこに或馬と呼ばれたスーツ姿の男がいる。眼鏡をかけたサラリーマン然とした出で立ち。恐らくリュウタローと同年代だろう。
取り巻きが若い連中なのを見ると、この人物がこの集団を取り仕切っているのだとリュウタローは察した。
或馬が続ける。
「確かに。パラレルチップは受け取っていない。それにキミたちが仮に運営側の人間だとしたら、一般プレイヤーのフリしてオトリ捜査したなんて事実、不都合なんじゃないかな。場合に寄っちゃこれは燃えるよ、大炎上だ」
……ああなるほど、脅しか。
向こうはこちらの立場を利用して乗り切ろうという魂胆のようだ。ならばやることは一つ。
「なぁ或馬。お前もカードゲーマーならバトルで決着をつけないか!」
炎上上等。燃やすなら、思い切り燃やそうじゃないか。
「……魂を燃やして、アツくなれるバトルでッ!」
To Be Continued.