DEBUG.4-1
生い茂る緑、立ち並ぶビル群。その隙間から漏れる日差しが心地よい。
ここは侵森都市エメラルドコースト。木々の緑を海と捉えて命名されたこの地に、一人の女性と一体のデジモンがポータルを通じて降り立った。
ジーンズに包まれたウエストからすらりと伸びた脚と、目鼻立ちが良い整った顔。大人びた出で立ちだが、細いアイラインと、このエリアによく似合う特徴的な翡翠色に染まるカールされたロングヘアが、柔和で人当たりのよさそうな印象を周囲に振りまいている。
名を輝月涼音(かづきすずね)。
派手に着飾っているワケではないが、佇まいから滲み出る気品の高さがただ者ではないことを暗に物語っていた。
そしてその涼音と並ぶのは、シンプルな見た目のデジモン、ユキダルモンだ。
名は体を表すとはよくいったもので、熊のような耳がついた雪だるまと表現すれば事足りてしまう見た目である……が、特筆すべきはその大きさだ。決して背が低くない涼音の三倍はあろうかという巨躯。デジモンには個体差があるというが、ここまで大きなユキダルモンはそういない。
その証に、道行くプレイヤーたちはそろって一瞬足を止めて涼音達を――主にユキダルモンのことを――物珍しそうな視線を投げかける。
「……うん、やっぱりあなた目立つわね」
「だからあたしはD-STORAGEに入ってましょうかと言ったじゃないのさー」
「なにも否定的な意味で目立つと言ったわけじゃなくてね。なんか心地良くない? 見られるの」
「スズネはホントに目立ちたがりねー。お金持ちの考えることはわからないわー」
ユキダルモンに指摘されると、涼音は薬指に指輪がはまった左手で髪の毛を軽くかき上げた。
「お金を持ってるのはわたしじゃなくて旦那だけどね。目立ちたがりなのは否定しないかな。ユキダルモンも別に悪い気はしないでしょ」
「それはま、そうなんだけどさー。ふふ」
ユキダルモンの笑いにつられて、涼音もまた細い目を弓なりにしならせる。
「あは、年甲斐もなくはしゃいじゃうかも」
「年甲斐もなくっていう年齢でもないくせにー」
25歳既婚者に向かってそう言ってもらえるのは、やはり悪い気はしない。
……さて。
視線に酔うのはここまでにしておこう。
ここからはお仕事の時間である。
なにを隠そう、輝月涼音もまたこのデジモンリベレイターというゲームを裏方から支えるプレイヤー――デバッグチームの一員なのだから。
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.4-1 輝月涼音
「それじゃあユキダルモン、いつものお願い。良いでしょ」
喧噪から離れ、人気のない町外れまで来たところで涼音が足首をさすりながら懇願する。ユキダルモンが黙って涼音を持ち上げた。
そしてそのまま左肩へと彼女を座らせて、ゆっくりと歩き出す。
「助かるぅ」
別段、脚が痛むわけでも疲れたわけでもない。
なにせここはメタバース空間だ。肉体的疲労がフィードバックされたり蓄積したりはしないのだが、彼女はユキダルモンの上から眺める景色が好きだった。
普段の自分では絶対に味わえない視点の高さ。しかも落ちても怪我の心配はないときた。だから、彼女は探索のたびにユキダルモンに乗せて貰うようにしている。
要は気分の問題だ。
それに、自分の足で歩くよりユキダルモンの大きな歩幅で進んだ方が、探索効率が良いのも間違いない。
「ねぇ」
足をゆらゆらと交互させて景色に浸っていると、横にある大きなユキダルモンの顔がチラリとこちらの様子を伺ってきた。
「前から聞きたかったんだけど、あなたいつもみんなにこの調子で甘えてるのー?」
「いやいや。他人に弱いところ見せたら舐められるから流石にやらないわよ。わたしが甘えるのは旦那とユキダルモンだけ。あと実家のママね」
「あらまこの子ったら。調子良いわぁー」
実際のところ、涼音がパートナーに感じる居心地の良さは実家に帰ったときの気分に近い。それはユキダルモンの持つパーソナリティに寄るものだろうし、なによりパートナーの大きな体躯は甘えたくもなる。この仕事に就いてからというものの、何度ユキダルモンを再現した巨大クッションを特注しようと悩んだことか。
決して夫の稼ぎが悪いわけではない――むしろ裕福な家庭といってもいい――が、夫と共働きで家計を支えると決めたのは自分だ。いつなにが起きても大丈夫なように、稼げる内はしっかりと働いておきたい。
そんな中で、ユキダルモンの包容力にいつでも触れられる環境は、さぞ疲れに効くことだろう。間違いなく。
「それで? この広いマップから“はぐれ”を探そうってハナシだっけー?」
パートナーの確認に、涼音は軽くうなずいて見せた。
「そ。少し前に一般プレイヤーが暴走したNPCを鎮圧したらしいんだけど」
涼音が話しているのは、エメラルドコーストに現れた暴走NPCのことだ。
幸いにして事が公になってはいないものの、一般プレイヤーが暴走NPCを倒したことによってひとつ問題が起きてしまった。
「つまり、そのプレイヤーが倒したデジモンが野放しってことねー」
最近の調査で、NPCは野生のデジモンが体内に侵入することで暴走することが判明していた。そしてユキダルモンが言ったとおり、NPCの中に入り込んで暴走を引き起こした野生のデジモンが、再びラクーナの地に解き放たれているのである。
カードの保護を得ていないデジモンがラクーナで活動していると、環境に適応できずやがて消滅してしまう、というのはデバッグチーム含めた運営側の共通認識だ。
だからこそ、通常であれば暴走NPCにはデバッグチームが対処する。鎮圧したあとは出てきたデジモンをキャプチャーして必ず保護。その後すぐにガーデンに送る手筈になっているのだが……。
……こればかりは仕方がないわね。
対応しきれなかったGMや自分たちデバッグチームの落ち度だ。
「――でもそのプレイヤーが暴走NPCと戦ったのは、結構前の話よねー。残念だけど望み薄じゃないのー?」
確かに、生身の野生デジモンがラクーナ内で活動できる限界時間は短くて数時間、長くて数日だ。普通に考えれば今回は保護の機を失している。
しかし。
「まだ間に合うはず」
「へぇー?」
「理由は二つ」
彼女がすぐさま断言できたことには無論、それなりの理由がある。
まず一つ目。涼音が握った右手の人差し指を立てる。
「目撃例があったわ。NPCを倒した人物とは別のプレイヤーから、GMへの相談という形でね。エメラルドコースト内に、プレイヤーを連れていないデジモンが走り去るのを見かけたらしいの」
なにも知らないプレイヤーは「描画バグに遭遇した」と相談を持ちかけてきたのだという。そしてその目撃したデジモンが、先にプレイヤーが倒した暴走NPCに入っていた個体と思われる種族と同じだった。
次に二つ目。人差し指と並べて中指を挙げた。
「一度NPCにハッキングしたデジモンは、ラクーナでの活動可能時間が延びるという話を聞いたことがある」
野生のデジモンたちは生存本能からNPCへと侵入する。侵入後はNPCの体を防護スーツのように扱う――代償として自我を失い暴走してしまう――のだが、その保護を失ったデジモンは再び次の隠れ蓑を探すのだ。
“NPCに入ると暴走する”という知恵と、少しばかりの環境耐性を身につけて。
「自我を取り戻し、知恵をつけたデジモンは同じ失敗を繰り返さない。そして、環境耐性を得た個体はハッキング能力が向上することも確認済み。ゲーム内の静物オブジェクトを隠れ蓑にするらしいわ」
「草とか木とか、そういうモノに入り込むってこと-?」
「そ」
つい最近のことだ。
エメラルドコーストの端に群生している“竹”に入り込んでいたところを、保護されたデジモンも発見されている。言葉にしてみれば静物オブジェクトに入るデジモンなど馬鹿馬鹿しく聞こえてしまうが、ケースとして存在する以上はどんなに疑わしくても「可能である」と結論づけるほかない。
「ま、隠れるっていったって限界はあるけどね。それでも数ヶ月は生き延びる」
実際に体を動かすことが出来るNPCの体と違って、静物オブジェクトはデジモンにとって窮屈極まりないだろう。寿命を延ばすことができるとはいえ、そうなった個体はゆるやかに消滅を待つのみだ。
でも、まだ間に合う。
「以上のことから、わたしたちが保護できなかった個体――ブルコモンはまだ消滅していないと推察可能なのよ。オブジェクトを転々としながらね」
なるほどー、と。
いつも通り少し気の抜けた声で、ユキダルモンは嬉しそうに笑った。
ブルコモンが発見されたのは、それから程なくしてのことだ。
目撃地点から、直線距離にして数百メートル。オブジェクトに入ろうとしていたのか、生い茂る草木に隠れるように、手を伸ばした状態で倒れている対象を涼音たちは見逃さなかった。
そう遠くに行っていなかったことから、ブルコモンの限界はやはり近かったようだ。
「……良かった」
「ほんとにねー」
お互いに安堵の息を漏らしながら、涼音はユキダルモンから飛び降りる。そしてすぐさま保護に必要なブランクカードをD-STORAGEにセットして。
「ブランクカード・スタンバイ。ユニークエンブレム・オン。デジモンキャプチャー・実行(エグゼキュート)」
D-STORAGEの液晶から強い輝きが放たれる。ブルコモンがその光に包まれると、みるみるうち空白だったカードが、ブルコモンが描かれたカードへと変換された。
あとはガーデンへと転送すれば任務完了だ――。
「あーーーっ!」
――と、転送プロセスの承認に指を伸ばした矢先だった。涼音の背に甲高い叫びが浴びせられたのは。
姿を確認する前に、涼音はその声の持ち主が若い女の子の声だと想像する。
……聞き覚えないし、チームじゃないわよね。
振り返れば、その予測が正しいことが証明される。
ブレザー式の学生服を纏った、ショートカットの少女がそこにいる。女子高生か、いやあるいは女子中学生かも知れない。そして、隣に連れているレベル3デジモンはピコデビモンだった。
涼音の頭の中には全メンバーの顔と名前がインプットされている。デバッグチームに小学生は存在していても、ピコデビモンをパートナーに据えたメンバーは存在しない。
「ちょっとちょっと! ウチらのクエスト邪魔しないでくださいよ!」
「そーだそーだそーだゾ! そのブルコモンは我らが先に見つけてたんだゾ!」
「いまから捕まえよーと思ってたのに!」
「クエスト進行の横入りはマナー違反って決まってるゾ! なぁ黎七(れいな)!」
「そうだよ、返してっ!!」
間髪入れずに、黎七と呼ばれた少女とピコデビモンが捲し立てる。その騒がしさに若干こめかみが痛んだが、賑やかなのはユウキたちで慣れていた。青筋を浮かべるほどのことではない。
「ええ、と? ごめんなさいね。クエストってなんのことかしら」
いまは努めて冷静に。相手のやかましさよりも、聞こえた単語の不穏さの方がいまは気になっていた。まずは相手の話を聞き出さなければ。
「くっ、これだからたまにログインする程度のエンジョイ勢は……っ」
「黎七、このヒト見るからにフダン仕事で忙しくて息抜きが必要そうな疲れたバリキャリビジネスウーマン感が漂っているゾ。エンジョイ勢なのは仕方がないのでは」
「ばりきゃりびじねすうーまん! 格好いい……っ、いつもお仕事お疲れ様です!」
「それに我らが受けたクエストは一般開放されていないテストクエストってポップアップがあったから仕方ないことかもだゾ。ここは穏便に交渉するのが良いと思うんだゾ」
「それもそうだね……そうだね! うん! 交渉しましょう疲れたヒト!」
「あなたたちナチュラル失礼ね……いや褒められてるんだかなんだか分からないけど」
見た目から想像していたよりもずけずけくる相手の態度を諫めるが、感情を表に出すのはここまでだ。
……我慢よ涼音。
相手は交渉を持ちかけている。内容は間違いなくブルコモンのカードの譲渡だ。しかし交渉するもなにも、クエストについてまずは聞かせて貰わないと話は始まらない。
「あなたたちのクエストっていうのはその……ブルコモンの捕獲ってことかしら?」
「どーするピコちゃん、教えちゃう?」
「まずはこちらの手札を明かして相手に心を開いてもらうんだ黎七。交渉の基本だゾ」
「なるほど! じゃあそうです! ウチらの目的は野生のブルコモンの捕獲です!」
潔いのは好感が持てる。相手の年齢も相まって可愛げがあるな、と。ピコデビモンの狙い通り少しだけ心を開きそうになる。
しかし、話の内容だけはそうはいかない。まったく可愛くない。
「……ねぇスズネ。これって――」
「――ええ。そうねユキダルモン」
ユキダルモンと互いに視線を送り合った。
絶対におかしい、と。
先も確認したように、野生のデジモンがデジモンリベレイター内に存在することは公になっていない。一般プレイヤーが遭遇したときは大抵「描画バグ」として片付けられるのがオチだ。そして、野生デジモンの保護――捕獲とも言い換えられる――は自分たちデバッグチームに与えられた仕事であり、門外不出の情報である。
しかし、黎七は確かに「“野生”のブルコモンの“捕獲”」言ったのだ。
「レイナちゃん、だったかしら。捕獲というのは具体的にどうやって?」
「これを使って捕獲するみたいです! クエスト発生画面を承認したらアイテム欄に追加されてました!」
そういって取り出したのは、涼音たちがデジモンを保護するときに使用するものと類似した、何も描かれていないブランクカードだ。
ただひとつ、自分の知るブランクカードと明確に違う点がある。
……黒いブランクカード。
見たことも聞いたこともない代物だ。それに、クエスト発生画面ということは運営側が意図してこの少女に渡したことになる。
「それで! どうでしょうか! クエストクリアするとパラレルチップがたくさんゲットできるんです! ちょっと嫌だけど、チップの山分けで手を打ちませんかっ」
彼女の言うパラレルチップとは、つまるところカードのレアリティを上げることが出来る消費アイテムだ。アイテム一つ一つの入手難易度は決して高くないが、入手頻度の低さと一度に使う消費量が多いため、こういう場で交渉カードに使われることも少なくない。
涼音からすれば見え見えな餌。それは黎七の交渉に対して抱いた感想ではなく、クエスト発注者に対してのものだ。パラレルチップは一般プレイヤーを動かすにはもってこいの釣り餌だろう。
だからこそ、より疑念が沸く。
黒いブランクカードに、たくさんもらえると言うパラレルチップ。それは運営側に紛れ込んだ黒幕の存在を想像するに容易い。
一体誰が。何の目的で。
「レイナちゃん。これって交渉よね」
「そうです! 決心してくれましたか!?」
「焦らないの。これがネゴシエーションだというなら、わたしからも条件を出させて頂戴」
いつも通りの、デバッグチームとしての任務だと思っていた。
そこに飛び込んできた、誰かに唆された無垢なる一般プレイヤー。
寝耳に水ではあったが、これは運営に携わる身としてまたとないチャンス。
「やるの、スズネ」
「ええ。膿は全部出すに限るでしょ」
だから、涼音はD-STORAGEを構えて、黎七に突きつける。
「勝負しましょう、レイナちゃん。あなたが勝ったらタダでこのカードは渡してあげる」
その代わり。涼音は相手が言葉を挟む余地なく続けた。
「わたしが勝ったら、お茶してくれないかしら」
To Be Continued.