DIGIMON LIBERATOR

  • X

novel

DEBUG.5-1

 信号があり、横断歩道があり、ビルが建ち並ぶ昼間の風景。
大きな通りの入り口の角ビルには、ペンギンが描かれた24時間営業の看板を掲げる雑貨屋が構えていて、奥には屋上から黒い巨大怪獣が顔を覗かせるひときわ大きな建物があった。
現実であれば人混みがあることだろうし、数え切れないくらいの車の往来があるはずのこの場所は、新宿大通り沿いの街並を忠実に再現したデジタル空間だ。
デジモンリベレイターのテストサーバーに構築された、現実世界の模造品。

 そこに立つ影が三つある。
大きな影が二つと、小さな影が一つだ。
大きな影の一つは、白衣とビル風が揺らす銀髪が特徴的な、大仰なサングラスをかけた男性。自他共にクールボーイという偽名で呼ばれる、デジモンリベレイター運営主任兼開発部長にして、ラクーナを発見し整備した人間である。
小さな影は、形容しがたい形ではあるものの、どこか動物的な特徴を持つ水色の体。丸くて小さな耳に、つぶらな瞳、齧歯類のような前歯が目立つデジモン。エスピモンだ。

 そしてそれらと立ち並ぶのは、全身が青いパーツで構成された異形の者。宇宙のごとく星が散らばったような暗い輝きを放つ顔に、緑色のサイネージが描く瞳が浮かんでいた。その姿を見た周りの人間は口を揃えて「特撮ヒーローのようだ」と表する。
彼の名はアルテア。
GMにしてデジモンリベレイターの開発に関わった敏腕プログラマー、姚青嵐やおちんらんによって生み出された人工知能はいま、擬似的ではあるものの、新宿に確かに立っていた。

DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.5-1 アルテア

  アルテアは「外の世界を見てみたい」と思ったことが一度ある。それを他人に話したことも、一度だけある。
アルテアが生み出されて一年ほどが経つが、恐らく時間にして8ヶ月前。あれはリベレイターのβテスト中――ガーデンでカードゲーム用の基礎ラーニングをしていたころの出来事だ。
ひと通りラーニングを終えたアルテアに、ヤオはなにかやってみたいことはないか、と聞いてきた。アルテアはラクーナとガーデン以外の風景を知らなかったので、素直に願望を伝えた。

『――お安い御用ネ!』

card

「手を叩いて胸を張る小さな体躯の生みの親の、少しだけ気まずさを孕んだぎこちない笑顔をいまでもよく覚えている。相棒であるエスピモンの驚いた顔も忘れられない。これは到底叶えて貰えそうにないなと諦めたことも然りだ。そもそも、アルテアは自分がデジタル空間に投影されたデータの塊であることもよく理解していたので、無茶を要求したことを後悔していた。
はずなのだが。

「驚きましたね。素直に」
「僕も驚きだよ。まったく、ヤオが時折仕事を抜けてなにをやっているかと思えば、こんなものを作っていたなんてね」

クールボーイがうなずく。その様子から、このエリアを作ることは上司にも秘密だったようだ。誰にも相談せずにこれだけの精度で――無論、本物の新宿をアルテアは知らないのだが――街を再現したのだと思うと、姚青嵐という人間の特異性を再認識する。
誇らしい気持ちで、アルテアは誰もいない新宿の街をあらためて見渡した。ここに開発者当人であるヤオがいればもっと良かったのに……そんな風に、感動と共に寂しさのようなものが胸をチクリと刺す。
残念ながら、ヤオはデバッグチームにまつわる急な仕事が入ったらしく、今日この場には居合わせていない。

「はあああ。ワタクシも感動ッス。ラクーナに似ていますが、立ち並ぶ建物がどことなくカオスな様相をかもしていて、ええ、たまりませんッスなぁ」

パートナーであるエスピモンも、知識欲の高い種族だからだろうか。好奇心を隠そうともせず、せわしなくエリアを飛び回っては感嘆の息を漏らしていた。

「ラクーナに似ているというよりは、ラクーナ“が”似ているんだけどね」

クールボーイの言葉に、興味深そうに何度も頷くエスピモンを見て、アルテアは自分もどうにかこの感動を言葉で表現したくなった。
一体、この感動や驚きはなにに類するだろうか、と。数瞬だけ思考を巡らせて、ひとつ思い当たるものを見つける。
だから言葉にした。

「分かりました。この衝撃は、アルミ缶の上にある蜜柑・・・・・というジョークを教えられた時のショックに匹敵します」
「なんと! そこまで!」

驚くパートナーを横目に、クールボーイは首をかしげる。

「……どのくらいすごいのかな?」
「分からないッスかクールボーイ殿! これはマスターにとって最大級の賛辞に等しいッスよ!?」
「そうなのか……ふむ、なるほど面白い」
「……」

クールボーイが神妙な面持ちで「面白い」と口にするときは、大概が理解が追いついていない状況なのをアルテアは経験則で知っている。クールボーイほどの人物をもってしても、人工知能である自分の言葉を100パーセント理解するのは難しいと言うことらしい。思わずアルテアも押し黙ってしまう。
反面、エスピモンはアルテアの言葉によほど感動したのだろう。その場で跳ね回って全身で喜びを表現していた。

「いやはやすばらしいッス! 是非、マスター自身のお言葉でいまのお気持ちをお聞かせくだされば!」
「良いでしょう、そうですね――」

せがむエスピモンの“振り”に、アルテアは悪い気がしない。こういうとき、相棒が待っているのは常に自分が繰り出す最高のジョークだと相場が決まっている。
だからアルテアは、全力でその振りに応えるべく思考回路をフルで回転させた。

「――私は驚嘆を今日・・・堪能・・しました」
「わははははは!! 今日もマスターの言語野は冴えまくりッスね!!」

よし、とアルテアは小さく拳を握る。手応えはあったし、その期待通りに相棒が笑ってくれたことに感情パラメータが上向くのを実感した。クールボーイは首を傾げているが、それは気にしないことにする。

「——さて、ひとしきり感動も済んだところでだ。本題に入らせてもらってもかまわないかな?」

「かしこまりました」
「了解ッス!」

エスピモンと共に頷くと、クールボーイは指を鳴らして自分達の目の前に1枚のホログラムウィンドウを展開した。
そこに映し出されているのは1枚の画像。先日からラクーナに次々とポップしているレベル3デジモン——左右で獣と機械の身体に分かれている、半獣半機の未知なる種族——マキナモンだ。
いま、デバッグチームの面々はこのマキナモンを保護するためにラクーナ中を奔走している。

 ……マキナモンか。

キャプチャーした1体目の個体を分析したところ、マキナモンはラクーナの環境に完全に適応していることが分かった。おそらく、プテロモンやシューモン、エリザモン……ひいてはデバッグチームの面々が相棒とするデジモンと同じく、あの世界で生まれた新種ということなのかも知れない。
確かにアルテアの中にインストールされているデジタルモンスターというコンテンツの知識に「マキナモン」という種は存在していなかったのも、この予想を裏付けているような気がしてならない。あくまで状況証拠でしかないのも、また確かだが。

「このデジモン。キミにはどう見えているんだい、アルテア」
「どう見える……ですか」

恐らく、クールボーイはこのデジモンの善悪を問うている。
善悪の基準がどうという問答はさておき、ラクーナやプレイヤーにとって害があるかどうかを判断しかねているのだ。

「正直に申し上げます。わざわざこのようなクローズドネットワークで、互いの見解を摺り合わせなければならないほど、危険な存在とは思えません」
「それは僕も同感だ。マキナモン自身がラクーナに適応しているとはいえ、彼らの身体は非常に脆い。デジモンの基本原則である闘争本能が欠如していて、あの種が生存競争に勝ち残れるとは到底思えないよ」

 プレイヤーに害はない。ラクーナの環境を激変させてしまうほど大きな力を秘めているようにも見えない。

 ……ならば、保護したあとは?

この話し合いの目的は、マキナモンへの対応を最終的にどうすべきかを決定することにある。保護したあと、あのデジモンたちは一体どこでどうやって生きていくのが正解なのだろうか?
クールボーイの言うとおり彼らの身体は獣と機械が不安定に融合しているせいか、頑丈とは言い難い。人間の手によって削除してしまう、ということはないにせよ、放っておけば失われてしまう命であることは明白だ。
退こうが進もうが、マキナモンたちを失う可能性の方が大きいとなると、いま必至でマキナモンを保護しているデバッグチームの面々に申し訳が立たない。これは非常にセンシティブな問題である。だからこそ誰にも話を聞かれる心配がない、この新宿が会合場所として選ばれたのだ。

「クールボーイ殿、僭越ながらご意見させていただきまッス。アンチェイン殿ならなにか解決策は見いだせるのではないッスか?」
「——アンチェインか。やはり頼るしかないのかな」

アンチェイン。
デバッグチーム特別顧問にして、アルテアと同じくデジタルデータで構成された身体を持つ電子生命体だ。
違う点といえば、アルテアは姚青嵐の手によって生み出された人工知能であることに対して、アンチェインは、ラクーナから人の手を借りずに生まれた正真正銘の“天然物”であるということ。
デジモンリベレイターというアプリケーションの構成データが、デジモンという存在から影響を受けたことにより、ゲーム世界に偶発的に顕現した……というのがアンチェイン本人の語るところである。
クールボーイと談笑するところをよく見かけるし、アルテア自身もまた何度も言葉を交わしていて、アンチェインには悪くない印象を抱いていた。だからこそ、クールボーイも自分もアンチェインを頼ることに幾許かの罪悪感を覚えるのだろう。

「現実問題そうも言っていられませんねクールボーイ。頼るしかない、というより我々はすでに頼っている状況ですから」
「それもそうか……いやはや、まったく。特別顧問には頭が上がらないな」
「ッスねぇ……」

そう。
ことマキナモンの処遇という点においては、デバッグチームはすでにアンチェインに頼り切りの状態になっていた。というのも、いまのところは特別顧問による対応ということで、アンチェインが保有している隔離スペースへとマキナモンを預けているのだ。
アンチェインとしても、自身と同じくリベレイターというデータから生まれたと予測されているマキナモンを放っておけなかったのだろう。誰が頼み込むでもなく、特別顧問が自らその役を買って出てくれたことに、ガーデンの管理を任されているアルテアとしても感謝しきりだった。

「なんにせよ、だ。アルテア、ボクらとしてはマキナモンたちを今後どうするか、という話は進めておかないとね」
「ええ、そのための本日の話し合い……でしたね」

前もってのマキナモンの解析で、その生態に脆弱性があることは先に示したとおりだ。では、マキナモンを保護した上で、脆弱性をどう克服して命を失わせずに済むか。なにもノーアイディアでこの話し合いに臨んでいるわけではない。
その証左に、エスピモンが口を開いた。

「マスター。ワタクシが考えるにッスよ? クールボーイ殿と以前にも相談したとおり、一番手っ取り早いのはやはり隔離なのではないかと」
「そうですね。だからこその下見といいますか。ヤオ様からご招待いただいた隔離仮想空間であるこの新宿に来たわけですが……クールボーイ様はどのようにお考えでしょう」
「ナシじゃあない。まぁ、正確に言えばこの仮想新宿が適しているかというよりは、改めてマキナモンの構造や生態を調べた上で、専用の空間を用意する必要があるのだろうけどね」
「どう考えても同感・・・・です」
「さすがマスター、さりげなく差し込むジョークまで最高ッス」

困ったように肩を竦めるクールボーイを見て、勢いで話の腰を折ってしまったことを申し訳なく思う。どうやら今日、この新宿を訪れたことに対して自分が考える以上に浮かれているようだ。

「申し訳ございません、クールボーイ様。閑話休題、マキナモンの調査に関しては現状、私の方でサンプルデータを鋭意解析中です」

アルテアは、ガーデンを管理するためにいくつかの専用エリアを出入りすることが可能だ。その中のひとつに、デジモンのデータベースにアクセスすることが出来る研究施設のようなエリアが存在する。
そのエリアで、持ち帰ったマキナモンのサンプルデータを、データベースと照合することで近似のデジモンを見つけるところから解析をスタートさせていた。

「ポイントとしては、やはり獣型とマシーン型両方の性質を持ち合わせている……というところにあると思います。この話を以前にさせていただいた際、デバッグチーム内に適任者がいるとクールボーイ様は仰っていましたね」
「ああ、そうだった——そろそろかな」

クールボーイが懐中時計を取り出し時間を確認する。いまこの新宿に訪れているのはアルテア、エスピモン、クールボーイの三者であるが、もう一人その適任者とやらがあとで合流してくるという算段になっていた。

「デバッグチーム内というか、ゲームマスターの一人なんだけどね。僕の後輩なんだ」

彼曰く、クールボーイやヤオと同じくI.D.E.A.に所属する開発者サイドの人間らしい。βテストの際、とあるデジモンが暴れていたのを止めた功績を認められ、ゲームマスターとして起用されたのだという。その暴れていたデジモンは、いまやその人物のパートナーとして行動を共にしているとも聞かされていた。
チームメイトにも話を聞いてその人物の情報を事前に収集していたが、どうやら中々に面白い性格をしているという。
いわゆるギーク、という奴だとか。

「——来たようだね」

見計らったように、アルテアの後方にポータルが開いた。光の中から、白衣を着た一人の男性が新宿へと降り立つ。
中肉中背という言葉を絵に描いたような体型で、かなりの猫背。髪型はボサボサ・もじゃもじゃ、と形容するのが妥当な具合の、余り整えられていないパーマがかった黒いマッシュヘアーで、前髪で目元が隠れている。
首元から提げたネームタグには、蓬来寺チトセという名前が刻まれていた。

「やぁ、来たね」

 クールボーイの呼びかけに、蓬来寺はばつが悪そうに手を挙げて会釈する。

「いやーどもども。話すのは初めてだねアルテア。デジモンリベレイター開発部所属、蓬来寺です、遅くなりまし……うおすっごい!? マジで新宿だ!! クールボーイさんすごいですよコレ! 完璧じゃないか!」

挨拶を途中で切り上げて、仮想空間に再現されたこの新宿を見回してテンションを上げる。やはり、実物を知っていると感動も大きいらしい。
そんな彼を咎めるように、クールボーイがわざとらしく咳払いをして蓬来寺を呼び止めた。

「テンションが上がっているところ悪いけど、蓬来寺。今日キミを呼んだのは観光目的じゃないんだ」
「ああすみませんつい……! 合成型のデジモンについての講義でしたっけ」
「その通りだ。アルテアがいま調べてくれている例のマキナモンについて、キミの知識が役立つかも知れない」
「他ならぬクールボーイさんの頼みとあれば気合い入るなぁ!」

せわしない人だな、というのが正直な感想だった。しかしながら「見た目や挙動から人を判断しない方が良い」とかつてヤオが教えてくれたことを思い出し、アルテアはすぐさま姿勢を正す。

「よろしくお願いします、ホウライジ様」
「ああ、こちらこそよろしくアルテア。僕でよければなんでも聞いてくれ」

 さて、とクールボーイが再び懐中時計に目をやった。そういえば、彼はこのあと新型T.A.L.E.の開発について打ち合わせがあると言っていた。

「予定が迫っているものでね、申し訳ないがあとは蓬来寺に任せていいかな」
「任されました!」

 もじゃもじゃの髪を揺らしながら、蓬来寺がクールボーイに敬礼する。

 ……なるほど。

 蓬来寺はクールボーイのことを尊敬しているのだろう。目元は確認できなくても、その瞳が輝いているのが見て取れるようだった。

「アルテア」
「はい」
「彼は合成型デジモンのスペシャリストと言っても差し支えない。なにせ、このラクーナで初めて現れた野生のレベル5デジモン……その暴走を止めた男だからね」
「話には聞いています。確かその暴走していたデジモンというのは——」

アルテアは再度思考回路を巡らせようと、瞬間言葉を切った。
そして記憶から名前が見つかったところで、口に出すより先に蓬来寺が答えを出していた。

「——キメラモンだよ、アルテア」

 蓬来寺が構えたD-STORAGEから、一体のデジモンが飛び出す。ウサギのような見た目の、鋭い目つきをしたレベル3デジモン。

「まぁ、いまはガジモンとして僕の相棒になっているんだけどね」

 蓬来寺のパートナーが、そこにいた。

To Be Continued.

DIGIMON CARD GAME