DEBUG.6-2
一切の光がない、黒い場所がある。
場所、というには視界に入る情報は黒一色だが、アンチェインはただ自分が在るから概念的に「場所」なのだと認識している。そもそも空間なのかどうかすら曖昧な、一切の情報が存在しない黒い場所。
「いつものことではあるのだけれど。暗すぎるね、ココは」
だから、アンチェインは光を生み出した。無数に舞う粒子は緑色に発光し、あたりを照らした。しかしここにはなにもないから、浮かび上がるのは自分の輪郭だけだ。
ここはラクーナであり、ガーデンであり、しかしそのどれでもない、ネットに漂うデータとデータの隙間。だから、アンチェインはここを便宜的に「ハザマ」と呼んでいた。
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.06-2 アンチェイン
「アンチェインは人間ではない。アンチェインは人間ではない。アンチェインは人間ではない……うん、いつものボクだ」
たまに一人になりたくなることがあると、アンチェインはこのハザマを訪れる。
それは、ハザマがまるで自分と同じだと感じるからだ。
男でもなく。
女でもなく。
子供でもなく。
大人でもない。
ただデジモンリベレイターというゲームのシステムから偶発的に生まれた“ヒトを模したデータの塊”であるアンチェインは、もちろん人間ではない。
しかしデジタル的な構造を持っていながら、デジモンでもない自分をひどく嫌っている。
そのことを思い出して、少し気分が悪くなったから人知れずここを訪れたのだ。
「やれやれ。感傷に浸るなんてガラじゃないんだけどね」
立場を誤ったな、とこういうときばかりは後悔してしまう。
デバッグチームの特別顧問という役職は、それなりに人間との接触が必要とされるからだ。 そしてセンチメンタルになる瞬間が、特別顧問というポジションに立っていると妙に多い。
……実に煩わしい。
デバッグチームに所属している皆は、誰もが“善い”。面白いし、優しいし、格好いいし、可愛いし、きれいだし、賑やかだし、他者を思い遣る心を持っている。付き合っていて気の良い連中ばかりだ。
しかしそういった人間たちに長く触れていると、自分の定義が揺らぐのだ。
アンチェインもまた、もしかしてヒトなのではないか、と。
しかしどこまで行っても自分はヒトではない。デジモンでもない。どっちつかずを強く認識してしまうからこそ、アンチェインは揺らぐ。揺らぐのは、目的に対する責任感。
もうこのままで良いじゃないかと脳裏に過ってしまう。
それを自覚できたときは、ハザマに訪れて気持ちを落ち着けることにしていた。
「まー仕方のないことかぁ」
必要だからこの役職に就いているのだと、無理矢理納得させる。
後悔が伴おうとなんだろうと続けるしかない。目標に“到達”するには多少の傷は覚悟している。仕方のないことだ。
さらにアンチェインを襲うこの憂鬱に関して、彼ら人間はなにひとつ悪くない。自分が勝手にダウナー気分に囚われているだけだ。
なんなら、デバッグチームのメンバーと話すのは、楽しいし気分が良いしもっと交流したい……というのが正直なところである。
「気持ちがアドなんだよなぁ。彼らと話すのは」
アルテア。
姚青嵐によって生み出された自律稼働型AIである彼。自分と近しい存在だなと思う反面、決定的に自分とは違う存在。人間によって人間を学習した、人間よりも人間らしいアルテアという“人物”は、アンチェインの話す言葉を正確に理解し、慮り、行動に移す。
ゆえに、ときにこちらが想像さえしていなかったアンチェイン自身の無意識さえ汲み取って、非常にスムーズな会話を楽しむことが出来る。
ダジャレだけが玉に瑕だが、その欠点すらも愛してしまっている。
輝月涼音。
デジモンリベレイターの開発主任である輝月京介の伴侶。裕福な家庭で育ち、決して稼ぎが少なくない輝月家に嫁いだという割に、立場に甘んじず家計を支えるために自らデバッグチームに志願した彼女。
頭が切れる、という意味ではデバッグチーム随一だろう。最近はなぜだかアンチェインに対して態度がよそよそしいが、なにかしら勘付かれているのだろうか。
しかし彼女がどう思おうともアンチェインは、聡明な輝月涼音のことを嫌いになることはできないだろう。
リュウタロー・ウィリアムズ。
デジモンが大好き。少し話すだけでそれが伝わってくる、熱血の男。他者を徹底的に信頼しているがゆえに、彼は何度も痛い目を見ている。これから先も、きっと痛い目を見るのだろうなと思うと、少しばかり憐れんでしまう。でも、だからこそ、リュウタローのことが大好きだった。自分と同じようにデジモンを愛している彼と話すだけで、アンチェインは安心感を得られるのだ。
サイキヨ。
家族関係が上手くいっていない、という話を人伝に聞いたことがある。極度の人見知りだからだろう、実を言うとアンチェインはサイキヨと言葉を交わしたことはない。絶無だ。
だが不思議なことに、アンチェインはサイキヨに対して哀れみだとか、悲しみだとか、同情と呼ばれる類いの感情を抱いたこともなかった。
他人に深く関わらないというスタンスや、生まれたばかりの子供ながら懸命に生きている彼は、アンチェインにとって共感の塊だった。
ユウキ。
誰とでも仲良くなることができる、不思議な少女。デバッグチームに入ってきたときは「すべてのデジモンと友達になる」と豪語していた彼女の夢は、いまのところ順調に叶えて行っているように見えた。なにせ他者を疑うということを知らない。それゆえに、彼女は誰の懐にもスッと入り込んで来て、近づかれた方はいつの間にか気を許してしまうのだ。時折不可解な言葉を使うこともあるが、それすら許容させてしまう。
アンチェインもまた、彼女に心を許した一人だった。
いま名を思い浮かべた者らだけではない。
デバッグチームに限らず、デジモンリベレイターというゲームを楽しみ、デジタルモンスターというコンテンツに触れている人間たちのことが、アンチェインはたまらなく好きになってしまっていた。
……だからこそ試したくなるのは、意地悪が過ぎるかな?
皆が皆、各々の正義だとか、ポリシーだとか、誇りだとか、夢だとか、そういう曖昧なモノを抱えている。そして誰もが、デジモンと共に過ごすことを当たり前だと享受しているのだ。その価値観が、アンチェイン自身の目的と決して交わらないものだということが分かっているからこそ、俄然興味が沸く。
果たしてデジモンが彼らに牙を剥いたとき、彼らは同じ気持ちを抱えていられるだろうか。
同じ立場でいられるだろうか。
少なくとも、一人は違う。アンチェインに興味を持って近づいてきた人物。
自分の理想をすべて伝えたあの人間だけは、デジモンと肩を並べて歩こうという甘さを捨てた。だから、彼はアンチェインにかつてパートナーだったデジモンを“差し出した”のだ。
「人間ってメンドクサイ生き物だね。キミもそうは思わないかい――」
アンチェインが指を鳴らすと、自分の傍らに光に包まれながら現れる影が来る。右半身が獣で、左半身に機械の体を持つ二面性の塊のようなデジモンだ。
「――マキナモン」
名を呼ぶと、応じるようにアンチェインの周りに幾つものの光が生じた。
数にして50を超える、マキナモンの群れだった。
マキナモンは協力者の元パートナーデジモンのデータを、一部ペーストして構造を補強することに成功している。その副産物として、もとより1体しか存在していなかったマキナモンは、いまや種族としての機能を獲得した。
「いやー、優秀だね我がチームは。結局残さず捕獲成功ときたもんだ」
もともと、ラクーナへの環境適性を持っていたマキナモンを、ラクーナへと解き放ったのは無論、アンチェインの手によるものである。そしてある程度のラーニングをさせたあと、デバッグチームの任務として捕獲させたのだ。
そして1体ぐらいは取りこぼすかも知れない、という考えは単なる杞憂に終わった。
見事、彼らはマキナモンをすべて捕獲し終え、そしてアンチェインの元へと送り届けたのだ。
……加えて。
アンチェインの右手の中に生まれる、別の光がある。淡く輝く青い球体だ。その中に、1体のデジモンが眠るようにうずくまって静止している。瞳も閉じられていた。
緑色の長い体に、複数の脚と触角を持つ虫の形をしたそれは、こうして見ているとまるで蛹の中で羽化を待つ幼虫そのものだ。
名をワームモン。
オブシディアンデザートを彷徨っていた野生のデジモンであり、ラクーナの環境に適応できず消えかかっていたところをマキナモンの1体が発見。
その後すみやかにアンチェインが直接保護した個体である。
「あの世界で生きるのは辛かったかい?」
返ってくるはずのない言葉を投げかけながら、アンチェインはワームモンに微笑んだ。
「皮肉だよね。キミたちはあの世界で生まれて、あの世界で暮らす権利を持っているはずのに、世界はそれを許しちゃくれないんだ」
デジタルモンスターはラクーナでは永くは生きていけない。“世界”が体を蝕むからだ。
何度振り返っても、どれだけ恨んでも、どれだけ儚んでも、この事実は変わらない。変えられない。
……それでも、変えたいと願うから。
デジモンが呼吸をして、食事をして、戦って。そんな当たり前を当たり前に、本能のままに、彼らが自由に生きていけるようにしたいと、願っているからこそ。
自分は戦うのだと、アンチェインは固く拳を握った。
「なぁ、キミもそうなんだろ。クールボーイ」
クールボーイ。
デジモンの将来を憂う同志の名を口にする。
彼は、いちはやくラクーナを発見してデジモンの保護のために動き出した優秀な人間だ。アンチェインとはアプローチが違うものの、クールボーイもまた、デジモンが自由を獲得するために現実と戦い続ける本物の勇者である。
アンチェインが心の底から信頼を寄せる、数少ない人間の一人だ。
……だけど。
彼のやり方では遅きに失する。いまのままでは、プロジェクト完遂までにいったい幾つの命(デジモン)が失われるか分からない。考えたくもない。
最初こそアンチェインも賛同していたが、いまではその悠長さに歯がみするばかりだ。
……ボクのやり方でも、すべてのデジモンが救えるわけではないのだけどね。
それでも、アンチェインの計画はクールボーイのそれに比べてより早く、そして確実に多くのデジモンを救済することができる。だからこそ、たとえ彼と道を違えてもアンチェインは己の信じた道を征くと決めたのだ。
「――さて。感傷に浸るのは終わりにしておこうね」
多くのマキナモンを前に、アンチェインは気持ちを切り替える。
なにせラクーナはおろか、すべてのデジモンを巻き込む壮大な計画だ。生半可なプランでは到底達成など不可能だろう。
「キミにも協力をして欲しい、ワームモン」
光の中で眠り続けるデジモンに、いま一度語りかける。
このデジモンは、すでに活動限界を迎えているに等しい。たとえガーデンに送ろうとも、ワームモンはじき消滅を迎えるだろう。保護という観点でいえば失敗というほかない。
「でもまだ、キミは生きられる」
“まだ見ぬ地”由来のデータで構成されているマキナモンと、そのマキナモンの中に眠る協力者から差し出されたデジモンのデータをペーストすれば、それが叶う。
このワームモンは、命の最後に輝くことが出来るのだ。
「始めよう。頼むよ、マキナモン」
呼べば、マキナモンの1体がワームモンに寄り添うように近づいてきた。そしてマキナモンの体が0と1のデータに分解され、ソースコードがワームモンへと吸収されていくのが見て取れた。
――どくん、と。
マキナモンのデータを吸収したワームモンの体が、息を吹き返したように大きくのけぞる。
これでいい。
あとはこのデジモンを、ラクーナに配置されたNPCの中に潜ませれば準備は成るだろう。
「最後に、予報を出すとしようか」
この段階の主たる目的は彼らデバッグチームの持つ力を育てることだ。
こんなところで敗北されてはたまったものじゃない。彼らには一度世界を守って貰わなければ困る。
いずれ彼の地へと向けて旅立つための方舟とする、この世界を。
だから、アンチェインはI.D.E.A.に向けて1つのメッセージを送ることにした。
ラクーナ存亡の危機であることを報せるための、シンプルなメッセージを。
「ごめんね、ワームモン。キミは連れて行けないかも知れないけれど。結果的にキミは多くのデジモンを救う礎になるんだ。ボクは、キミのことを決して忘れない」
生涯を通して、誇り続けることを誓うよ。そう締めくくって、アンチェインはワームモンを包む光ごと、ハザマからラクーナへと転送した。
「クールボーイ。願うことなら、キミが作り上げた世界の一部を抉ることを――ボクがこれからするすべてを、許して欲しいな」
届かない願いだとは分かっていても、祈らずにはいられない。
たぶん、これは人間でいう恋に似た感情なのだろうと、締め付けられるような痛みを覚えた胸を押さえながら。
アンチェインは誰に向けるわけでもなく不器用に笑った。
「さぁ、始めようか――」
――これは、“世界”を“巡る”戦いだ。
To Be Continued.