DIGIMON LIBERATOR

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novel

DEBUG.7-1

 ラクーナのことを「混沌都市」や「融合都市」と称する声がある。
 この世界は、見たことがなくてもどこかで見たことがある気がする、そんな光景の連続だ。現実世界のマッピングデータが融合し、変化することで生まれたラクーナは、まさしく混沌の名を冠するのにふさわしいだろう。
 しかしながら、このラクーナをデジモンリベレイターというゲームのマップに活用するに当たって、I.D.E.Aは増改築を繰り返した。結果として世界は7つのエリアに分類され、それぞれが一見して統一感のある風合いを手に入れていた。
 秩序を手に入れた、と言い換えてもいい。
 ゆえにラクーナはゲームのマップとして成り立っているし、正式サービスが開始されたいまでは、誰かが言うほど混沌の2文字は似つかわしくない状態となっている。

 ここは一面の砂漠地帯だ。他のエリアと同じく、あたりに広がる風景は真に迫ったもので、豪炎地帯ルビーマウンテンとはまた別種の暑さがある。ゲーム内空間で、実際には熱も何もないのだが、この場所を訪れるプレイヤーは皆、口の中に砂が張り付くような感覚に一度は顔をしかめるのだ。
 もっとも、どこもかしこも砂ばかり、というわけではない。旅人を癒すかのように、泉とその周囲に草木の生えたオアシスが各地に点在している。水辺には休憩用にベンチやテーブルも据え付けられており、“魔境”と称されるこのエリアにおいては、クエスト途中の補給や他プレイヤーとの交流を落ち着いた空気の中で行える、数少ない憩いの場所だ。
 しかし、そんな文字通りのオアシスに、今日は怒りを顔に浮かべた少女がいた。デバッグチームの一員・ユウキだ。

 ただひとつ、特定のエリアを除いて。

 開発陣が口を揃えて「この場所に手を加えるのはおこがましい」と言って、最低限の整備だけでリリースに至った異色の都市がある。
アンコールワット、マチュピチュ、ストーンヘンジ、コリント遺跡、ボロブドゥール寺院遺跡、ルクソール神殿、エルジェムの円形闘技場、ラマナイ遺跡、エトセトラ、エトセトラ。
 例を挙げればキリがないほどの世界中の遺跡をかき集めてごちゃ混ぜにしたような様はまさに観光名所の闇鍋。混沌が体現された世界。
 訪れれば、世界一周旅行をした気分になれる――そんな触れ込みもあるのが、この時静領域じせいりょういきアンバーリメインズだ。

 そして。

「ね、ね、ヴィオラ。このエリアまで来るとなんかメインクエストも大詰めって感じだね」

「なーにがクライマックスなものですか。我がライバル、ネタバレを恐れずに忠告するけど、ここはむしろ折り返し地点でしかないわよ」
「えっ!? ここまで来るのに結構時間かけたよね!?」
「リベレイターのシナリオボリュームを侮らない方がいい。稼働から半年経ってエンドコンテンツすらまだ明らかにされてないのよ? ちゃんと話を理解して遊ばないと詰まるポイント山積みなんだから」
「よ、よっしゃー……」
「まさか我がライバルとあろうものがサブクエスト漏らしてないでしょうね」
「そこはバッチリ! この前もクローズと一緒に“オシデザ”のサブクエストしらみつぶしにクリアしたんだから。ね!」
「うん。あのエリアにはもうサブクエは残ってないよ……です」

 ……そして。
 この混沌とした領域に三人の少女が訪れた。メインコンテンツがカードゲームである、というこのゲームの特性上、メインクエストをパーティプレイで遊ぶというスタイルは珍しい部類ではあるが。
 デバッグチームに属する少女たち――城之崎有紗、ヴァイオレット・インブーツ、そしてクローズの三人は、いま。

「言っておくけどね。アンバーリメインズここをクリアしたらオブシディアンデザートに戻るわよ。サブクエ20件ぐらい増えるから」
「え……よ、よっしゃー……ッ!」

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DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.7-1 いつまでも。どこまでも。みんな一緒に。

 クローズ。姓はなく、ただのクローズ。それが彼女に与えられた、彼女を表す名前である。名付け親はクローズの兄――あるいは姉――であるアンチェインだ。
 どういう意図で彼の者が「閉じる」という意味の、ともすればネガティブに捉えられかねない名前を定義したのかは本人以外の知るところではない。
 しかしながら、彼女は存外この名前を気に入っていた。
 まずもって、一般的な人間社会でいうところの名前と決定的に違うのが、クローズという単一の言葉で完結する点だ。他者が姓と名どちらで呼ぶべきかを判断するという、至極当たり前に発生する無駄がないのがいい。

 

 次に、情報開示の手間が省ける点。
 クローズという名前を聞いた誰もが、自分が説明するまでもなく彼女が根本的に人間とは異なる存在で在ることに思い至る。あるいは、それを明かしても「ああ、だから名前が自分たちのルールとは違うのか」と早々に納得して貰える。

 そう、彼女は人間ではない。これは周知の事実。
 アンチェインと同じく、ラクーナの構造データが行き交うプレイヤーのデータに反応して生まれた、ヒトの形をしたデジタル生命体だ。アンチェインの性別が曖昧であるのとは対照的に、クローズが女性の姿を取っているのは、より深くプレイヤーのデータをラーニングした結果なのかも知れない。

 ゆえに、以上の事情を知らない人間からすれば、いつログインしても必ず姿を見かける不思議なプレイヤー、として映っているだろう。だからこそ、デバッグチームの人間はクローズの生い立ちを聞けば驚きよりも先に納得の方が強く感情に出るのだと、彼女は思う。

「ね、クローズ。髪、触ってもいいかな?」
「うん、良いよ……です」

 有紗が思い出したようにクローズの髪に優しく触れる。高級な絹を扱うような丁寧な触り方が、少しだけくすぐったかった。
 それを見ていたヴィオラが、頬を薄紅色に染めながら言う。

「……ワタシも触ってイイ?」
「もちろん大丈夫……です、よ?」

 意図せず疑問形になったのは、彼女たち二人がクローズの髪をことあるごとに触りたがるからだ。別段、失うものがない自分にとってはいちいち了解を取られることが不思議でならなかった。
 逆に、触られることでクローズは胸の中に心地よい温もりを得る。むしろどんどん、いくらでも触って貰いたいくらいだ。

「ホント、信じられないわね。クローズが現実世界には存在しないデータの塊だなんて」
「ね。こんなに綺麗な髪の毛してるの羨ましいよ。私は痛みやすいから余計に」
「それはアナタが徹夜を繰り返しているからよ我がライバル。肌も髪も十分な睡眠時間が十全を育むんだもの。すべりばすべりば」
「いやー……はははー」

 ふと、二人の会話を聞いていたクローズはまたもひとつの疑問を抱く。有紗はいま、自分の髪の毛に触れて「羨ましい」と口にした。自分が羨ましがられる立場になるとはまったく考えていなかったものだから、クローズは素直に彼女たちに言葉をぶつけた。

「羨ましいは、こっちのセリフ……です?」
「えっ! どうしたの!」
「だって、アリサたちはこの世界から外に出られる、でしょう? 自由があって羨ましいなって思う……でした」

 当然のことながら、クローズはラクーナの外に出ることができない。
 それは物理的な意味で出られない――というのはもちろんのこと、クローズの場合はさらに「出られたとしても出てはいけない」理由がある。
 ……私がいなくなったら、デバッグチームの皆が困るから……です。

 クローズはラクーナの構成データとプレイヤーデータから生まれた、というのは先述の通りだ。そしてアンチェインとは違い、より進んだ形でヒトのデータを取り込んでいる彼女は、デバッグチームの根幹となるシステムを支える礎でもあった。
 すなわち、ユニークエンブレムである。
 あらゆる活動の手助けとなるユニークエンブレムのシステムは、クローズのブラックボックスたる思考回路を経由することで初めて機能するプログラムだ。
 つまり、クローズがラクーナに存在することで初めて、デバッグチームはユニークエンブレムを満足に扱うことが可能になっている。
 時折、未知のデジモンがラクーナに現れた際、カードを通してラクーナに顕現することができているのも、彼女の存在に依るところが大きい。

 ――これはのちに分かったことではあるが、風真照人のゼファーガモンや城之崎有紗のサンドリモンが一時的にカードが使えなくなったことがある。そして、デバッグチーム加入と共にそれらのカードの使用が解禁されたというのも、クローズのシステムを通しているからこそ起きた出来事だと言えよう。
 無論、ここまでの情報は一部のGMしか知り得ず、デバッグチームのほとんどの人間が知らない機密事項である。だからこそ、有紗とヴィオラはクローズの言葉に無邪気に言葉を返した。

「でも、私はクローズが私たちの中で一番自由だと思うな」
「ワタシも同意よライバル。たしかに外の世界を見られないのは気の毒だけど、このゲームに限って言えば、自由さでクローズに勝てるプレイヤーなんていないんじゃないかしら。それこそ、羨ましいくらいに」
「わたしが自由……ですか? 誰よりも?」

 あまりにも意外な答えが返ってきたからか、クローズの思考回路が一瞬停止する。自分が自由である、というものの捉え方をしたことがない。しようとしたことが、まるでなかったからだ。

「クローズにもいずれ言わなきゃいけないことだったんだけどさ」

 有紗が俯いて、遠慮がちに言葉を紡ぐ。

「――私はもう少しで、一回この世界から離れなきゃ行けないんだ」
「! ……それって、もしかして、ですか?」
「うん。デジモンリベレイターはいったんお休み、かな」

 彼女は続けた。
 これから先、有紗は受験勉強というものに集中しなければならないこと。学校の成績自体は悪くないし、内申点も良い。模試の結果も上々。このまま行けば順当に志望校に受かる見込みだという。
 しかし、親を安心させるために、遊びを絶って勉学に努める必要があるらしい。
 城之崎家は代々医者の家系だ。
 親が言うには「無理して医者を継ぐ必要はない」「生きたいように生きて良い」と有紗に言っているらしいのだが、有紗自身は城之崎家という生まれに責任を感じている。
 だから、いったんお休み。
 そんな風に有紗は締めくくった。

「あ、いや。なにもやめるわけじゃないんだよ。時々は会いに来れると思うし、受験が終わったらまた、ね。シューモンやジャンクモンたちともたくさん遊びたいし」
「……それじゃぁ、ヴィオラもいなくなる……ですか?」
「あー。そうね、ワタシはもうちょっと先だけど。留学期間が終わったら故郷の大学に行くことは内定済み、だから。少しの間お休みする予定よ」
「…………でしたか」
「そ。だからワタシとライバルはアナタのことが羨ましいのクローズ。アナタはとても自由で羨ましいのだと、勝手ながら思うのよ。まぁワタシたちが知らない事情があったりもするのだろうけれど、表面的に見ればね」

 ああ、妬んでるわけじゃないから、そこは勘違いしないことね。
 そう言うヴァイオレットの顔もまた曇っている。

 ……わたしは自由だし、彼女たちも自由。でも、わたしは不自由だと思っているし、彼女たちもまた不自由を覚えているということ……です。

 そうか、自由の定義とは人それぞれなのか、とここでクローズは腑に落ちた。隣の芝生は青い、とアンチェインがいつか言っていた気がするが、その意味をいまようやく理解した気がする。

「モヤモヤします」
「「えっ」」

 だから、それゆえに生まれた感情を。

「わたしが自由だと羨ましくなるのは良い。でも、有紗もヴィオラも、別の自由を持っている。互いに羨ましいというのは自然だと思う。でもだからこそ、互いの自由がゆえに、互いの不自由が邪魔しているのが納得できない。わたしは二人ともっと遊びたい。二人がいなくなるのはいやだ。これからもずっと一緒に、その……友達でいたいです……です」

 クローズは素直に、一気に吐き出した。

「待った待った待ったクローズ! いままでで一番長く喋ってない!?」
「そこなの我がライバル!? いや確かにこんなに長く喋るクローズは見たことがないのだけれど!」
「だって、モヤモヤしたから……でした。こんな気持ちは初めて、です」

 泣きたくなる、というのはこういう気持ちだろうか。いまだかつて、彼女は涙を流したことがないが。いまなら生まれて初めての体験が出来そうだとすら思う。それほどまでに哀しいし、寂しいし、悔しかった。

「大丈夫だよクローズ。ずっと会えないわけじゃないんだよ」
「そう。なにせデジモンリベレイターはワールドワイドに展開するすべりぐなゲーム。加えて、近いうちにT.A.L.E.の家庭用デバイスが出るなんて話もあるくらいなんだから。時が来たら今まで以上に一緒にいられる時間が増えるってものよ」
「お別れではない……ですか」
「もちろんだよ! 自分で話を振っておいてなんだけど、一緒にいられるのは変わらないんだから!」
「……良かったぁ……でした」

 ほ、と胸をなで下ろす。
 安堵が顔にも出ていたのか、それを見ていた有紗が面白がって笑みを浮かべた。

「なんか、クローズってお姉ちゃんに似てるかも」
「お姉ちゃん……ですか? 私にとってのアンチェインみたいな? です?」
「そうそう。すんごい自由奔放で世界中を旅してるんだけど、変なところで心配性なのがちょっと似てる。や、性格は真逆だと思うけどね。お姉ちゃん、すんごいお喋りだから」

 ……似てる、ですか。

 似ていると言えば、自分にも思い当たる節がある。クローズに似ている、ではなく。どことなく有紗に顔立ちが似ている人間をクローズは知っていた。そういえば、彼女もまたデバッグチームにいたはずだ。

「その人は、もしかして……」

 挨拶をしたこともないし、名前も知らない。顔だけを知っている一人の人物を思い浮かべて、クローズは有紗に問いかけ――

「……いえ、なんでもないです……でした」

 ――なかった。
 いままで、有紗は自分からその姉のことを話そうとはしなかった。ならば、いまは深入りしない方が“ヒトとして”当然なのかも知れないと思いとどまったのだ。

 ……ああ。

 こうして思うと、クローズは自分が随分と人間のように思考できるようになったのだと実感する。
 それがとても嬉しくて、クローズはまた無意識のうちに口角を上げた。
 アンチェインは、この喜びを知っているのだろうか。
 人間らしく振る舞えるということと。
 自分が誰かと同じじゃなくても――ヒトでなくても、誰かに受け入れて貰えるということ。
 自分自身を、肯定してあげる喜びを、アンチェインが知っていたなら、それはとても素敵なことだと、そう思えた。

「さてさて! ガールズトークもいったんお開きってとこかしらね。いまは明るくド派手に楽しみましょう!」

 ヴィオラは続ける。
 ここまでクエストを進めて来たのなら、エンディングを見ずに一時離脱なんてあり得ない、と。
 意を決したように、ヴィオラと有紗が先陣を切って歩み出した。
 クローズもまた、その歩みに加わっていく。
 自分より小さな身長の二人の一歩一歩が、クローズにとってはとても大きな歩幅に思えて、それがとても頼もしかった。
 だから。
 いつまでも、どこまでも、みんな一緒に、自由に歩いていたいと、そう願った。

To Be Continued.

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