
DEBUG.9
ラクーナ内、侵森都市エメラルドコースト。その一角にある小さな空間。桜の花が咲き誇り、他のどのエリアとも違う、夢物語の中のような場所。
エリアとエリアの狭間に生まれた小さな空間。文字通りバグ技じみた手順を踏まないと来ることができないこの場所は、本来なら気づかれずに放置されるか、何年も後に発見されて修正されるかのどちらかだったろう。
この場所に起こった偶然は二つ。
一つ目は別の世界から迷い込んだ救世の騎士──ジエスモン がたまたまそこを見つけ、行き場のないデジモンたちを保護する場所としたことだ。そこにはデジモンを害するラクーナの毒が届かず、運営の目からも逃れられる “聖域”となった。
そして二つ目は、あるプレイヤーがここに入るためのバグ技じみた手順を偶然実行し、聖域を発見してしまったことだった。それだけではない。彼女はラクーナの平穏のために戦うデバッグチームの一員で、人間に憎しみを抱いていたジエスモンとのバトルに勝利し、最後にはジエスモンと“友達”になってしまった。
そして、デジモンリベレイターの管理者権限が書き換えられ、ラクーナがデバッグチーム特別顧問・アンチェインの手に落ちた今、聖域は再起を図るチームの新たな拠点となった。
偶然、と呼ぶにはあまりにもできすぎた話だろうか。あるいは必然なのかもしれない。正義は簡単には負けないようにできていて、たまたまそこにいた彼女に“聖域”を見つけさせただけなのかもしれない。
そんなことを考えて、クールホワイトの小竜──ハックモンは首を振った。たとえそうだとしても、それを簡単に運命と呼びたくはない。自分が彼女とそのパートナーを認めたのは、ひとえに2人が自分たちらしい生き様を示したが故だ。それがほんの少しでも違うカタチだったら、きっとハックモンは聖域を彼らのために差し出すことはなく、デバッグチームの、デジモンリベレイターの命運は尽きていたに違いない。
だから──。
「ハックモーーン! 本当にあざまる!」
「おい、ベタベタすんなよ暑苦しい」
そんなことを考えるハックモンに、デバッグチームの一員・ユウキが抱き着いてくる。やきもちを焼いたのかなんなのか、その横で口を尖らせているのはパートナーのインプモンだ。
無邪気にふるまうその様子は、自分たちがラクーナを救う希望の糸をつないだことにも気づいていないようで、ハックモンは思わず笑う。
「おい! おめーもなに笑ってんだよ優等生ヤロー!」
「いや、なんでもないさ」
──だから、偶然でも必然でもない、“奇跡”という言葉こそが、彼女たちには似合う。
救世の運命を背負った竜は、心の内でそうつぶやいた。
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.9 出立
「でも、本当によかったの?」
ユウキは首をひねる。ラクーナに起きた事態を警告しに来たユウキに、“聖域”を拠点として貸し出すことを提案したのはハックモンの方だった。ユウキにとっては願ってもない話だったが、そもそも人間──クールボーイが自分たちの世界を見捨てたと考えていたハックモンが、彼のもとで戦うデバッグチームへの協力を申し出たことは意外だったのだ。
しかし、ハックモンは軽く首を振って、彼女の疑問を振り払った。
「何度も言わせるな。俺とみんなで決めたことだ。チビスケたちも、頑張っているお前の力になりたいと言い出してな」
そういって振り返るハックモンの視線の先では、デバッグチームのデジモンたちと戯れる“聖域”の幼年期、成長期デジモンたちの姿があった。中には人間に対してまだぎこちない対応の者もいるが、おおむね興味津々で交流を持とうとしている。
「それに、災禍の皇帝竜とデバッグチームとの戦いも見させてもらった。クールボーイにはまだ言ってやりたいことがあるが、この世界を守ろうとするお前たちの意思に嘘がないことは分かった。世界のために戦う者たちを見捨てては、騎士の名折れだからな」
「……そっか! ガチ助かるーッ!」
「オイ、もういいだろ? そろそろ本題に入ろうぜ」
安心したように微笑むユウキの脇腹を指でつっつき、インプモンが言う。爽やかで正義感の強い性格のハックモンのことが気に入らないのか、聖域でのインプモンはいつもちょっと不機嫌そうだ。
「そうだね。今日は、ハックモンに聞きたいことがあってきたの」
「聞きたいこと?」
問い返すハックモンにユウキは頷く。
「そう。あなたが元いた世界について」
「クロスコネクティア……」
ユウキが告げたそのゲームの名前を、ハックモンはゆっくりとつぶやき、どこか遠いところを見るような目で、空を見上げた。
「間違いない。俺が元いた世界をクールボーイはそう呼んでいた。俺はそこから、このラクーナにやって来た」
「やっぱり」
「閉じ込められたのか、クールボーイが、あの世界に」
「ヤオちゃん──チームの偉い人は、そう言ってたよ」
デジモンリベレイターの前身となるMMORPGがあったとヤオから聞いたとき、ユウキが最初に思い出したのがハックモンのことだった。
「……でも、それならよかった! クロスコネクティアは結局ゲームとして発売はされなかったけど、それは新たにラクーナが発見されたから。ラクーナの毒素を取り除いて、デジモンが住める環境にしてから、クロスコネクティアのデジモンたちにも来てもらう計画だったってヤオちゃん言ってたよ!」
「そうか。きっとそうなんだろうな」
ハックモンが懸念していたように、クールボーイがクロスコネクティアを見捨てたわけではなかったということだ。ユウキとしては、ハックモンに一言くらい伝えても良かったんじゃないかとも思うが、変に期待させすぎないための対応だったのかもしれない。
「確かに、クロスコネクティアはそこまで広い世界ではなかった。より多くのデジモンたちを助けるためには、広大なラクーナの整備が最優先事項だと、あの男なら考えるだろう。文句がないではないが、ひとまず、疑いを解くとしよう」
その言葉に、ユウキは安心したように息をつく。しかしハックモンの言葉は続いた。
「だがそうすると、俺たちを襲ったあのデジモンはなんだ?」
「……あ」
ユウキの喉から声がこぼれる。クールボーイの訪れなくなったクロスコネクティアは、謎のデジモンの襲撃を受けた。ジエスモンに進化したハックモンが激しい戦いの末に撃退はしたものの、その余波でジエスモンもラクーナへとはじき出されてしまったのだという。
「“見たことのない、機械のデジモン”……」
「そうだ。仮にも世界の守護者だった俺が、見たことのないデジモンだ。クールボーイの手の者でないのだとしたら、アレはなんだ?」
「フツーに考えたら、アンチェインのデジモンなんじゃねーの?」
「この一件の黒幕か。しかしなんのために?」
「オレが知るわけねーって」
早々に音を上げたインプモンの横で、ユウキはあっと声をあげる。
「たしか、ハックモンは、クロスコネクティアで、なんか、デジモンを守っていたんだよね。たしかその子も、見たこともない種だって」
「あー、“獣のデジモン”とか言ってたな。そいつが目当てだった可能性はあるんじゃねーの」
「そうか、キミたちには話しておくべきだろうな。あのデジモンはクロスコネクティアの“神”のようなものだから」
「カミサマ?」
「ああ、そうだ」
そう言って、ハックモンはユウキの目をまっすぐに見た。
「名を、ダルフォモンという」
ダルフォモン──クロスコネクティアに住まう神。デジタルワールドからやって来たハックモンたちも見たことのなかった、獣のデジモン。
「ダルフォモンは強大な力を持ちながら、とても穏やかなデジモンだった。あの世界のバランスがその存在によって保たれているのは明白だったから、俺は救世の騎士として、ダルフォモンを守ることを自らの任とした」
「それだけ強力なデジモンってことは」
「ああ。ラクーナを掌握した今、アンチェインが再度ダルフォモンを標的にする可能性はあるだろう」
「がちヤバみざわじゃん、助けなきゃ!」
ユウキは思わず立ち上がる。その姿をみて、インプモンはため息をついた。
「オイオイ、オレたちの任務はクールボーイとゼニスの救出だぜ? 時間もねーんだし、他のことしてるヒマはねーぞ?」
「それでも! 危ないんだったら助けなきゃ、でしょ!」
「ま、ユウキならそういうよなあ……」
どこか嬉しそうに呟くインプモンをほほえましそうに眺め、ハックモンは再び口を開く。
「俺からもお願いだ。ダルフォモンの様子を確かめてくれ。ただ、注意点もある」
「注意?」
「ダルフォモンを守っていたとき、俺は一人ではなった。仲間がいた」
「ハックモン、コミュ強だもんね」
「頼れる連中だったが、多少頭が固いところもあってな。おそらく、ニンゲンがクロスコネクティアを見捨てたと思い込んで、俺以上に頭に血が上っていることだろう」
「おいおい、それじゃ……」
目を見開くインプモンに、ハックモンは頷く。
「ああ、クールボーイや、先に行ったというキミの仲間たちに危害を加える可能性がある。彼らがクロスコネクティアに入って、30分程度だったな?」
「うん、先に行っててもらって、スポーン地点で合流することに──」
「“ここ”とクロスコネクティアでは、時間の流れに違いがある、おそらく向こうでは半日が経過しているだろうな」
「ちょ、なにそのどえりゃー案件!? 聞いてないんですけど!」
「あー、うん、ごめん。いま伝えなきゃと思ってたのヨ」
そう言っていきり立つユウキの背後で、姚青嵐(ヤオ・チンラン)の聞きなれた声がした。
「でも、先にいったみんなも強いから、きっと大丈夫、デショ?」
「とにかく! 早くシショーたちと合流しよう!」
ヤオにハックモンと“聖域”のことについて引継ぎ、送り出されたところで、ユウキはビシっと空を指さした。
クロスコネクティアと現実世界の時間のズレ、ヤオが危機に次ぐ危機の中で伝えそびれていた“どえりゃー案件”については、サイキヨたち先遣隊にもすでにメッセージとして伝えたという。先ほどは驚いてしまったが、冷静に考えればクールボーイ捜索に割ける時間が増えたということで、決して悪いニュースではない。
ダルフォモンを守護するデジモンたちの存在も不安ではあるが、サイキヨたちのパートナーはみな強い。そう簡単にやられはしないだろう。
「……あれ、これフラグってやつ? ま、ダイジョーブか」
「ホントかよ? ユウキ、もっとキンチョー感持てって。オレたちが任務しくじったら、ラクーナもおしまいかもなんだぜ?」
「分かってますー! 重要な任務だし、失敗は許されない!」
「じゃあなんでそんなに楽しそうなんだよ!」
不満そうに口をとがらせるインプモンの顔を覗き込み、ユウキは笑う。
「おいユウキ! 新しい世界で、知らないデジモンたちがいて、なにが起こるか分かんないんだぜ!」
「そうだよ。──それって、すっごく楽しみじゃん!」
「ったく……」
ユウキの言葉に呆れたように、けれど内心同意するように、インプモンは肩をすくめた。
いつもデジモンリベレイターにログインするときに感じる、あの浮遊感。ユウキという体から、ユウキという心が離れていくような。
いつもと同じような、ちょっと違うような気もするな。ユウキは目をつむりながらそう考える。
その瞬間、緑色の風──けれどエメラルドコーストの静かな風ともまた違う、生命の息吹に満ちた風が頬を撫でた。彼女はピクリと瞼を動かし、その風を逃すまいとするように、大きく息を吸い込む。
「初めまして! クロスコネクティア!」
そう口に出して、彼女は目を開く。
そこは崖の上。彼女は風に髪を揺らしながら、ラクーナで見たどことも違う、緑色の大地を見下ろしていた。
「ったく、いきなりうるせーな」
足元からそんな声が聞こえて、彼女は下を向く。そうだ。新しい冒険には、やっぱり、この相棒がいないと。
誰かが言ってた。風向き良好。傍らには相棒。うん。カンペキ。今日もあたしは、えぐい、かわちぃ!
「改めて、いっくよー! インプモン」
「おいユウキ、ここ崖だぞ! 危ねーって!」
そして一人と一体は、呼吸を合わせて、新しい冒険の舞台に一歩踏み出した。
To Be Continued.