
DEBUG.11-1
デジモンリベレイターのサービスが開始される少し前。
運営主任兼GM統括を務める銀髪の青年──クールボーイは、中央府ジュエルにそびえたつビルの窓から、広大なラクーナの景色を見下ろしていた。
サービス開始を控え、あちこちで最後の確認作業を行うデバッグチームの姿が見られる。現状のところ大きな問題は見つかっておらず、βテストに参加したプレイヤーやWEBメディアのライターからの評判も上々だ。
このままいけば、順当にサービスを軌道に乗せることができるだろう。クールボーイは胸の内に広がる安堵を噛みしめる。
ラクーナのデジモンたちを保護する目的で開発されたリベレイターだが、表向きにはゲームである以上、多くのプレイヤーの支持を得る必要がある。評判が芳しいものでなければ、I.D.E.A社がプロジェクトそのものを見直す可能性すらあった。
当然、そうしないために全力を尽くしてきた。リベレイターを主力プロジェクトとして役員に アピールするための社内政治に、プロジェクト発表後の積極的なPR活動。どちらもクールボーイが真に得意とすることではない。チーム全員の協力がなければ、ここまで漕ぎつけることはできなかった。
……いけないな、本番はこれからだというのに。
胸の内にわきあがる安心感と、両の目の間から広がってくるけだるい疲労感を押し殺し、彼は表情を引き締める。少なくとも、デジモンカードゲーム自体のビッグイベントであるワールドチャンピオンシップ、そしてその直後のサービス開始を乗り越えなければ、まとまった休息をとることはできないだろう。
「やァ。クールボーイ」
それでも、この忙しい時にアポイントもなく執務室を訪れた来訪者への声には、どうしても不満が滲んでしまう。相手がにこにこと張り付けたような笑みを浮かべているときには、特に。
「……ゼニス、僕は忙しいんだが」

クールボーイの言葉に、部屋を訪れた男──ゼニスはなだめるようなオーバーなジェスチャーを取る。
「そんな、いかにも過労気味の運営主任ってセリフ、よした方がいいでショ。これからは人前に立つこともあるんだしサ」
「君はチャンピオンシップの直前だろう。それもチャレンジャーの立場だ。こんなところで油を売っていていいのか?」
「いや、だからこそ、だヨ。調整をしていたんだケド、今日は腕試しの相手がいなくてね。だから──」
ゼニスはニイッと爽やかな笑みを浮かべて、デッキケースを兼ねた新型デヴァイス──D-STORAGEを持ち上げた。
「──ボクと勝負してくれ、クールボーイ」
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG. 11-1 ゼニス
「……キミの日頃の働きには感謝しているよ。ゼニス」
「いや、絶対に断る時の切り出し方じゃないカ!」
まったく、傷つくよなあ、と目を細めるゼニスに、クールボーイは肩をすくめる。
「感謝しているのは本当だ。数々のゲームで頂点を極めた天才にして天災。高い知名度を誇るキミが参入を表明したことは、事前登録段階での集客に大きな影響を与えた。デバッグチームの一員としても、プロゲーマーの観点からの貴重な意見を多く聞かせてもらったよ」
「それはどうも。T.A.L.E.の没入感は大したモノだったけど、初期の段階ではまだ、“人間そのもの”過ぎて操作感に難があった。感度の高すぎる人体は、時に快適なプレイの妨げにもなるからネ」
もっと褒めてくれたっていいんだヨ? と笑顔を浮かべるゼニスに、クールボーイは冷たい視線を返す。
「しかし、僕がキミに感謝していることは、キミが僕の時間を自由に使えることを意味しない。第一、私はプレーヤーではないよ」
「まさか、ボクの目はごまかせない。キミは相当使えるはずだ」
「仮にそうだとして、その力を競技に使うかどうかは僕の決めることだろう」
「そうかな? 強い力を持つものには、それを行使する義務があると思うけド?」
「それはキミの言い分だ」
「なあ頼むヨ。もちろん現段階だって優勝はできる。負けるつもりは微塵もない。でも、今回の相手はあのオーウェン・ドレッドノートなんダ。万全を期しておきたいんだよネ」
食い下がるゼニスに、クールボーイはまたため息をつく。もっともらしいことを言ってはいるが、結局は勝負をさせろと駄々をこねる子どもと変わらない。
「カードのデザインには関わっていないとはいえ、僕も一応開発側の人間なんだ。キミとオーウェン、どちらかに肩入れすることはできない。開発との癒着なんてうわさされたら、チャレンジャーとしてのキミの名誉にも傷がつくだろう」
「名誉? それはオーディエンスからの評価ってことかナ」
ゼニスはにこにことした顔で言う。
「それについては、どうでもいい。だからさ、頼むヨ」
「……」
あまりにもあっさりとしたその返答に、クールボーイは思わず彼の顔を見る。その針金のように細められた目をどれだけ見つめても、彼が自分との対戦に何を求めているのかは分からなかった。
いや、それだけではない。ゼニスという男とはクローズドβを通して1年近い付き合いになるが、クールボーイは未だに、彼がゲームに向けるモチベーションの源泉を読み取ることができていなかった。
人当たりがよく、デバッグチームの仲間ともうまくやっているが、本心をのぞかせることはない。いや、自分たちに見せている柔和な笑みが本心なのかどうか掴めない、というところが正しいだろう。
SNSに時折ファンが寄せるプライベートの姿も、ほとんど一緒だった。目撃情報はほとんどが牛丼チェーンなどのファストフード店のもの。ファンサービスの写真撮影にも気やすく応じてくれたという喜びの声とともに載せられた写真の服装は、品の良いブランド品ではあるものの、過度に高額な装飾品は身に着けていない。生活感や人間味というものを、彼の中に見出すのは難しかった。
「それに、ベムモンだって最近は退屈してるらしいんだよネ」
ゼニスのそばに、紫の体色のデジモンが現れる。ベムモン──謎の多いデジモンだが、その行動原理は「食べろ」と「強くなれ」の2大命令に集約されるという。ベムモンはバイザーで覆われた緑色の目をくるりと動かすと、ゼニスの言葉に同調するようにクールボーイを見据えた。
「……それはそうだろうね。強くなるということについて、ベムモンは足りることを知らない」
仮にデジモンが生きていたとしても、別の世界というのが本当にあったとしても、それは自分には関係のないこと。あくまでゲームとして、リベレイターに、デジモンに関わっていく。
デバッグチームへの所属が決まり、ラクーナの真実を聞かされたゼニスが最初に明確にしたスタンスがそれだった。クールボーイとしてはその言い分に不満がないわけではなかったが、高い実力と知名度を持つ彼を引き入れることのメリットを優先し、彼を受け入れたのだ。
「それにしても驚きだね、ゼニス。“デジモンリベレイターはただのゲーム”だというのが、キミのスタンスだと思っていたけれど」
「当然だろ。他のゲームにだってキャラクターはいる。そのひとりひとりに個性を認めながら、同時にゲームをゲームとして処理するのは、プレイヤーなら誰しもやっていることサ」
「……合理的だね」
強力かつ感情の希薄なベムモンを相棒としたのは、実に彼らしいチョイスだと言えた。その後の動向を見ていても、彼がパートナーデジモンと交流したり、D-STORAGEから出してともに歩いたりすることはなかった。
ベムモンもそれをよしとして、強者であるゼニスに付き従っているようだ。交流や信頼のない、道具と使用者の関係。しかし双方が積極的にそれをよしとしている以上、外野が口をはさむことはできなかった。
「とにかく、そういうことだから、一戦だけ!」
もう一度、頭を下げてくるゼニスに、クールボーイは呆れたようにため息をついた。
「……やっと折れてくれたかなと思ったんだけどナ」
場所を変え、中央府ジュエルの一角にある競技場。大型大会やイベントの開催が予定されているその場所に立ち、ゼニスは不貞腐れた顔で呟いた。
自分の頼みにクールボーイは結局終始拒絶を返すのみ。最終的には次の予定を理由に面会を切り上げてしまった。それから少しして、ホールに来るようD-STORAGEのメールをよこしたものだから、気が変わったのかとも思ったが、対応に例外を作るようではリベレイターの運営主任は務まらないということらしい。
「申し訳ありませんが、クールボーイは多忙でして。ご納得いただければ」
ホールに響き渡るのはオメカモンの声だ。クールボーイのパートナーのパペット型デジモンで、多忙なクールボーイの代行として彼の言葉を伝えることも多い。デバッグチームの定例会では司会進行を務めているため皆声に馴染みはあるが、姿を見せるときはいつもホログラム映像で、実際にあったことがある者はいないともっぱらの評判だった。
「……いいよ、オメカモン。納得はできないけど、それでキミを責めたってなんにもなんないしネ」
ゼニスは気のない返事を返す。実のところ、ここまでの経緯を経て、クールボーイへの興味は、潮が引くように失せてしまっていた。
……忙しくてカリカリしてる今なら、挑発に乗ってくれるかとも思ったんだケド。
結局のところ、クールボーイは勝負のために勝負をするタイプではなかったということだ。仮に無理矢理試合に持ち込んでいたとしても、ゼニスが望むような試合をすることはできなかっただろう。
「でも、呼び出したからには何か用事があるんだロ?」
ゼニスはオメカモンに問いかける。クールボーイへの興味こそ失ったが、彼が自分との間にわだかまりを残すような真似はしないだろうという確信もあった。
自分とは違う価値観の上に生きているが、無意味なことはしない男だ。彼が自分との協力関係に利用価値を見出している以上、何らかの形で彼を拒絶したことへの埋め合わせをしてくるだろう。それがチャンピオンシップ前の腕試しになるなら、今はそれでもよかった。
「ええ。ワタシが相手をしましょう」
オメカモンの言葉に、ゼニスは首をかしげる。
「キミが?」
「正確には、ワタシの操作するNPC、ですが」
その声が響くと同時に、競技場の床がせりあがり、ゼニスの前に一人のNPCが現れる。
「ワタシはこれより、クールボーイのデッキを使い、クールボーイの思考ルーチンをシミュレートして戦います」
「……それで、クールボーイと戦った気になれとでも言うのかイ?」
「まさか」
オメカモンは即答で否定する。これまでの事務的な声色にどこかオメカモン自身の熱が混じる。
「これはあくまでシミュレーションです。この勝負に勝ったからと言って、クールボーイに勝ったと思われてはワタシが困ります」
「ああ、分かってるヨ。……まるでクールボーイ自身は困らないみたいな口ぶりだネ」
「ええ。もしゼニス様がこの試合に勝ち、“クールボーイに勝利した”と喧伝されたとしても、クールボーイは気にしないでしょう。そういう人物です」
「そうだネ。アレはそういう男だ」
ゼニスは喉の奥で乾いた笑い声を立てる。だからこそ、クールボーイは自分のライバルではありえない。自分にスリルを味わわせてくれる存在にはなりえない。
……やっぱり、あの男しかいないんだ。
さらに深まった確信とともに、ゼニスは心の内で呟いた。
デジモンカードゲームを始めるにあたってゼニスが最初にしたことは、ワールドチャンピオンシップの録画をすべて見返すことだった。プレイは当然だが、注目したのは競技者たちの顔だ。
多くの強者がしのぎあう舞台。その重圧と一瞬の油断も許されない高度な頭脳戦の中で、選手の顔には隠しようのないその人間の本質が現れる。
誰もたどり着いたことのない高みに行きたい。共に戦ってきた仲間たちの想いに報いたい。重ねてきた時間と努力に実を結んでほしい。このデジモンを、デッキを、最高のステージに連れていきたい。
それぞれがそれぞれの想いを抱き、その思いゆえの、誰とも違う強さを持つ。彼がこれまでに多くのゲームで戦ってきた相手と同じだった。
けれどゼニスが真に惹かれたのは、そんなプレイヤーたちの中でたった一人だった。その男は、ゼニスが戦ってきた誰も見せたことのない、それでいて長い間見続けてきたような、そんな顔をしていた。
その男は、世界最高の舞台に立ちながら、常に何かを探し求めているように見えた。その刃のような瞳に宿った力が、油断や安心に緩むことはなかった。繰り広げられるどの戦いも、真に彼を満足させることはできないようだった。
ゼニスは食い入るようにその男の試合を追った。アグレッシブでありながら隙のない、腹をすかせた竜のような苛烈なカードさばきに見入った。
その男は決勝に進み、そして勝った。
次の年も、その次の年も、彼は誰にも負けなかった。鋭い目に飢えを宿したまま、どの勝利にも、達成感や満足の表情を浮かべることはなかった。
ある朝、ゼニスは気づいた。鏡に映る自分の顔が、画面の中のあの男と同じ飢えを宿していることに。
ゼニスは確信している。男は、オーウェン・ドレッドノートは、自分と同じだと。
「クールボーイ、キミは埋め合わせのつもりだったのかもしれないケド、こんな代理人で試すようなマネ、競技者の神経を逆なでするだけだヨ」
オメカモンが操るNPCがセキュリティを展開するのを見ながら、ゼニスは目を細めてひとり呟く。
「でも、許すヨ。ちょっとは歯ごたえがありそうだし。これであの男への勝利に近づくならネ」
オーウェンに勝つ。今のゼニスの頭を支配しているのはそれだった。勝利に一歩でも近づくなら、どんな屈辱的な条件でも勝負する。
「ベムモン、チャンピオンになる前の前菜だ。手早く食ってくれ」
その言葉に、D-STORAGEの中のベムモンが、軋むような鳴き声で応えた。
To Be Continued.