DIGIMON LIBERATOR

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novel

DEBUG.11-3

 視界が黒い。

 オブジェクトがなにも存在していない世界。ラクーナでも現実世界でもない、ましてや先程まで漂流していたクロスコネクティアでもない、自分たちが「ハザマ」と呼んでいる場所に、ゼニスはいる。

 かろうじてココを照らしているのは、自分の身体から流出していくデータの粒子が放つ、蛍のように薄らぼんやりとした頼りない光。そして、目の前にいるアンチェインの頭上に浮かぶヘイローのようなエンブレムの輝きだけだ。

「――随分とご立腹の様子じゃあないか。そろそろ喋ろうよ。仲直りしようぜ」

 茶化すように笑うアンチェインに、まだ返す言葉は見つからない。彼の者の言うとおり、ゼニスは虫の居所が悪い。いまにも掴みかかってしまいそうなくらいには怒りを覚えていたが、悔しいことに腕のデータは欠損していた。

 また、あわせて片目のデータも失っていたからか、ゼニスの瞳はうまく立体を捉えられなくなっている。目の前のアンチェインがいまどの程度、自分と距離を取っているのかもおぼろげだった。

 ……これじゃあ、殴るに殴れないね。

 黒い皇帝竜に襲われたオーウェンを庇ってキャラクターデータが破損したゼニスは、一度別のゲーム世界へとデータが転送されたあと、アンチェインによってこのハザマに連れてこられた。

 彼が怒っているのはまさに、その「庇った」という事実についてだ。

「……、牛丼って知ってるか、アンチェイン」

 そこでようやく、ゼニスは“パートナー”に投げる言葉を捻り出した。

DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.11-3 Xeno -BEGINS-

「ギュードン……ニンゲンの食べ物の名前だよね。悪いけど知識はあっても食べたことはないなぁ。だってほら、ボクはボクだし」

 言外に自らが人間とは違う存在だとアンチェインがアピールするのを見て、自分も大概人間離れしていることを自覚した。やはり、アンチェインと自分は同種の存在なのだと思い知る。

 ゼニス。

 デジモンカードゲーム現世界チャンピオン。

 トッププロゲーマー。

 天才。

 常勝無敗。

 オートエイムギフテッド。

 ナチュラルボーンチーター。

 ゼニスを表す言葉は星の数ほどあるが、本人としては「天災ナッシングビハインド」という呼ばれ方が一番気に入っていた。それは、自然災害のごとく彼が通ったゲーム界隈には草の根も残らないと言われるほど、ゼニスが勝ちすぎていたことに由来する字名だ。

 ゼニスは勝つことが好きだ。偏愛していると言っても良い。

 ゼニス――頂点という意味のハンドルネームをつけたことも、徹底的に他者を下し、ただひとつの頂に立つという覚悟のあらわれである。

 ……それはそれとして。

「分からないなら分からないなりに続けるけど、ボクにとってキミは牛丼のはずだったんだヨ」

「……つまり?」

「“話が早い”ってことサ」

 ゼニスが牛丼を愛してやまないのは、注文から提供されるまでの早さと――これは店によるが――食べ終わるまでに要する時間の短さにも起因する。他のファーストフードと比べても、タイムパフォーマンスの良さは圧倒的だ。日本で最初に食べたときはなにもかもに驚いた。

 ゼニスは自分の勝利にこだわるのと同じくらい、話の早さにこだわる。裏を返せば、細かいことで自分の予定を邪魔され、遅延されることが嫌いだった。

「オーウェン・ドレッドノートには手を出さない約束だったはずだロ」

「オーウェン……ああ! なるほどキミはそれでキレてるのか!」

 そこで、ようやくゼニスのパートナーは得心がいったように手を叩いた。

 そして「しかたがないじゃないか」と、すぐさま開き直る。

「インペリアルドラモンはクロスコネクティアから輸入したデジタルワールド由来のデータで構成されているんだぜ。ラクーナに召喚したところでアウトオブコントロール。細かい指示に頷いてくれるほど素直じゃあ、ない」

 もちろん、悪いことをしたとは思っているよ。そんな風に全く悪びれない様子で、アンチェインは話を締めくくる。

 細かい指示。約束。

 それは、アンチェインから協力するようもちかけられた時に、ゼニスが出した条件だ。

 ――頂点を決める最高の舞台で、オーウェン・ドレッドノートと再戦させること。

 先のデジモンカードゲームワールドチャンピオンシップにおいて、ゼニスはオーウェンと戦い、そして勝利した。

 しかしゼニスはその勝利に納得がいっていない。勝てたことに対する疑問ではなく、勝つまでの過程が問題だった。

 本人には「事故で勝った」と伝えてはいたが、あの勝利の本質は事故よりもつまらないものである。

 世界大会の決勝という大舞台。相手はあの赤き竜刃オーウェン。楽しみにしていた勝負にも関わらず、それがつまらないものになるという予感が確信に変わったのは、試合開始直前に対戦相手がわずかに漏らした溜息だった。

 まるで集中していない。

 期待を裏切られたような顔をして勝負に臨むオーウェンの顔を見て、ゼニスの期待もまた裏切られていた。

 ゼニスは勝つことが好きだ。

 だが、ただ勝つことが好きなわけではない。

 彼は「自分が倒されるかも知れない」というギリギリのスリルが味わいたいのだ。その上で、その逆境を覆して相手に格の違いを証明する。そういう勝利の体験は得がたいモノであり、常に享受できるモノではないことを彼はよく理解していた。

 ……だからこそ。

 オーウェンが本気で勝負に集中していないことに憤慨した。

 元々、ゼニスが様々なゲームを渡り歩くように頂点を取っていくのは、すべてそのアドレナリンを感じたいがため――だというのに、オーウェン・ドレッドノートはゼニスを裏切った。

 ゆえに「今度こそ」と、オーウェンに自分との勝負に集中してもらうため、ゼニスはアンチェインと手を組んだ。

 初めてリベレイターにログインした際に、パートナーデジモンとして選んだベムモンをアンチェインに差し出してまで、彼はオーウェンとの真剣勝負を求めたのだ。

 一度取ったはずの頂点ではあるが、リベレイターという新たな舞台が用意されたことはゼニスにとって非常に都合が良かった。

「“アレ”はボクを倒せるかもしれない久々のご馳走なんダ。彼が本気を出す前にこのゲームから退場させるなんて論外だヨ」

「どうしてそんなに大切かな、勝負なんてものが。くだらなくない?」

「黙れ」

 なぜこの機微を誰も理解しないのだろうか。なぜ誰も、このアドレナリンを求めずにのうのうと生きているのだろうか。生きていられるのだろうか。

 ……理解に苦しむネ。

 もしこの欲求を持たないものが人間であるとされるならば、ゼニスはバケモノでも構わない。

 そして、オーウェンは間違いなく“こちら側”だ。

 アレは間違いなくアドレナリンを追い求める、ゼニスと同種のバケモノだ。

 でなければ、何年もずっとあの「デジモンカードの世界チャンピオン」という椅子座り続けていたはずがない。

「デバッグチームでその欲求は満たされないのかい。強いヒトたくさんいると思うんだけど。たとえば……クールボーイとか?」

 アンチェインの問いに、ゼニスは鼻で嗤って返した。

 以前、クールボーイに勝負を持ちかけたことがある。彼もまた強者であることは匂いで分かったし、渇きを満たしてくれる存在だと思えたからだ。

 だというのに彼は真面目にとりあうことなく、あろうことかパートナーデジモンであるオメカモンを代理に立ててゼニスを試した。

 無論、勝利した。

 いつも通りのつまらない勝利だった。

「あの男じゃ満足できないネ。キミと同じ匂いがするカラ」

 アンチェインもクールボーイも似たもの同士だと感じている。

 自分自身のことにあまり興味がない、と言えば良いのだろうか。たしかに二人は、ゼニスに匹敵する強さを持つのだろうが、その強さは大局のために自分という個を捨てることができる歪な強さだ。

 徹底して個の強さを追い求めるゼニスとは反りが合わない。

 ゼニスが唇をとがらせると、アンチェインはいつも通りつまらなそうに肩を竦めて首を横に振った。

「まったく面倒くさいったらありゃしないや。どうしてもデバッグチームの内部に協力者が必要だったし、その中でもキミを誘ったことが間違いだとは思わないけれど、付き合うにも限度があるぜ」

「約束は果たしてもらう」

「約束約束って……ほんとにそればっか。しょうがない子だねえ、お願いした側の弱味だ」

 アンチェインが両手を打って、甲高い音を一つ破裂させる。

 すると、ゼニスとアンチェインの間に転送用のポータルが生まれ、見慣れた姿がそこから出現する。人型でありながら人間離れした細いシルエットの白い体躯のそれは、一体のバトル用NPCだった。

「――なんだい、これは。このぶっ壊れた身体でいまから戦えって?」

「そう結論を急ぐなよパートナー。これはキミへのプレゼントなんだぜ」

 続けて、アンチェインはゼニスの周りに板状のオブジェクトを三つ召喚した。長方形のそのオブジェクトは自分の正面と左右の前方に展開され、各々がゼニスの姿を映した。

 醜く崩壊したキャラクターデータのポリゴンが、三つの角度で反射されていた。

 鏡だ。

 そしてその三面鏡に映る自分の姿の背後に、先に現れたバトル用NPCがゆらりと立つのが分かる。

「オーウェンと戦いたいんだろ。心配しなくても約束は果たすさ」

「……それとこれと、なんの関係が?」

「慌てなくても舞台はこのアンチェインが整えてやろうって話――その前に、キミはキミで戦う身体が必要だろう、ゼニス」

 アンチェインが言い終えると同時、背後のNPCがデータの粒子に分解されていくのが見えた。その変化と共に、ゼニスの身体が足下から上書きを始める。

「あ」

 という間に、着ぐるみを被せられるかのごとく、ゼニスのキャラクターデータはいままでとは全く違う姿へと変貌を遂げていた。

 全身にローブを纏い、NPCの頭部と同じような意匠の仮面が生成され、視界が先程よりも鮮明になり、身体はウソのように軽くなっていた。

「ボクがパートナー想いのAIだって、分かってくれたかい?」

 曰く、これからアンチェインは最後の大仕掛けを動かすつもりなのだと続ける。

 デジモンリベレイターのメインクエストの締めくくりと銘打った大きなイベントを隠れ蓑に、一般プレイヤーのキャラクターデータを蒐集するのだと。

「ゼニス。キミにはこれからNPC・ゼノとして振る舞ってもらう」

 そしてそのイベントのラスボスとして、最強のプレイヤーであるゼニス――ゼノがNPCとして立ちはだかることで、一切の漏れなく勝ち抜いたすべてのプレイヤーのデータも回収する算段らしい。

「オーウェン・ドレッドノートがどれほどの傑物かは知らないけれどね。彼が真の強者であるならば。デバッグチームである以上、このイベントを止めに来るよ」

 勝ち抜いて、生き抜いて、必ずゼニスの前に現れる。

 そしたら、あとは好きにして良い。

「ボクたちの約束を果たすには、最高の舞台だとは思わないかな?」

「ようやく……ようやく!」

 言葉にならない歓喜が身体を包み込む。

 データが破損したことから、ゼニスはオーウェンと戦う方法を失ったのだとばかり思っていた。絶望していた。

 しかしアンチェインはその先まで考えていた。

 約束を忘れたり、ないがしろにしていたワケではなかったのだと、ようやく悟った。

「オーウェンと戦える……オーウェンと戦えるッ! ボクを倒してくれるかも知れない、あのバケモノとギリギリの戦いができる……!!」

「……はは。まったく聞いちゃいないってカンジ。悪くないね」

 にしても、とアンチェインは言葉を紡ぐ。

「倒してくれるかも知れないっていうけど、だからってキミは負けるつもりないんだろ」

「当たり前サ」

 わずかな間を開けることなく、ゼニスは迷わず答えた。

 もとより、オーウェンに限らず彼は誰にも負けるつもりはない。

「もしオーウェンと戦うことになったら、ギリギリの勝負の中で強者の余裕を見せてあげるヨ。頂点は誰にも譲らない……!」

 命を落とすかも知れない……そんな最高のスリルの中でニヤリと笑う。アクション映画のムービースターが見せるそんな表情が、ゼニスは大好きだった。

「あ、そ。頼もしいなぁ」

 そうだ、とアンチェインは穏やかな笑顔を浮かべて、懐からなにかを取り出した。

「まだ渡すモノがあったね」

 それもまた、よく知るものだった。

 円形のディスプレイが中央に座する、デジモンリベレイターのプレイヤーであれば誰でも手にしているデッキケース。

 D-STORAGEだ。

 ただひとつ見慣れない点がある。そのD-STORAGEは通常の筐体とは違い黒い筐体で、ディスプレイ周囲のサイネージが、紫色の光を発していた。

「キミの“先代”パートナーを返しておくぜ」

「……ベムモン……!」

 名を呼べば、D-STORAGEから光と共に飛び出すそのデジモンが在る。

 ベムモン。紫色の身体に、大仰なバイザーを被ったレベル3のデジモンだ。

 人工デジモンとして知られるこのデジモンは、マキナモンの生存のためにデータを提供したゼニスの元・相棒だった。

「世界大会とやらのやり直しをするなら、このデッキじゃなきゃダメだろ」

「本当に……気が利きすぎていて怖いネ」

 ゼニスが元相棒に手を伸ばすと、そのデジモンは言葉なく頷いてこちらに歩み寄った。

 ベムモンもまた、ゼニスの大好きな“話が早い”存在だったことを思い出す。

「感謝するヨ、アンチェイン。キミの温情に報いるために、精一杯の働きをさせてもらう」

「あはは、そりゃありがたいや。それじゃ――」

 アンチェインが指を鳴らすと、ゼニスとベムモンを巻き込む大きなポータルがアンチェインを中心に展開する。

 どうやらこれから、自分たちはラクーナのどこかに転送されるらしい。

 ベムモンがパートナーであるゼニスと共にポータルへと踏み入ると、アンチェインが柔らかな笑みで口元を歪めた。

 するとゼニス――否、異物ゼノもまた歯をむき出して笑う。

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 頷く彼の瞳も笑っているのだろうか。覆われた昏い色の仮面がそれを隠していたから、ベムモンには分からなかった。

 これで、正しかったのだろうか。

 ……いや。

 ベムモンの思考回路が、沸いて出てきた疑問を強く否定する。

 彼の望みを叶えるためだ。ならば、自分はその道具で構わない。

「――よろしく頼んだぜ、ゼノ」

 アンチェインはこちらに一瞥もくれることなく、パートナーの肩を親しげに叩いた。

 To Be Continued.

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