
DEBUG.13
母さんは、友達との集まりに僕を連れ出すのが好きだった。
キョウジ君は良い子ね。ほんと、うちの子なんかほんとに手が掛かって大変で──。
そんなお世辞を言われると、母さんはうれしそうに笑った。母さんが本当に笑うのはあまりないことだったから。こんな集まりに顔を出さずにゲームをしていたかったという気持ちを飲み込んで、僕は、ありがとうございますと大仰にお辞儀をして見せた。
後半になると、母さんとその友達の話題はいつも夫や家族についての愚痴になった。それを聞く僕も父さんにうんざりしていると、母さんは疑っていないようだった。
僕はなるべく話題を振られないようにおとなしくしていることしかできなかった。母さんに同調を求められると、曖昧に頷いた。父さんを裏切ったようで、いやな気分になった。
父さんは、ごくわずかな休みの日に、僕とふたりでどこかに出掛けたがった。
どこがいい? どこでもいいぞ。と父さんは聞いてきた。入り浸っているゲームセンターのことを知られるのはいやだったから、僕は適当にごにょごにょ言うばかりで、大体の場合行き先は近所のショッピングモールになった。
父さんは色んな物を買ってくれた。色んな物を買ってあげなくては、と必死になっているように思えて、僕はなんだか申し訳なかった。
なにか悩みとかないか? 母さんには話しにくいこともあるだろ。
父さんはよくそう聞いてきた。男同士だから共有できる秘密があると信じているような口ぶりだった。なんでも話して良いぞ、と言われるたび、僕はなにも言えなくなった。
母さんも一緒に、三人で遊びたかった。そう言っていたら、僕の願いは叶っていただろうか。
柔らかな風が頬を撫で、サイキヨは目を覚ます。窓から見える電子の空は橙色に染まっていて、そこがクロスコネクティアというゲームの内部なのだと思い出した。
「……夢、か」
上体を起こし、眠気を振り払うように頬をはたく。少しの休憩のつもりが意識が飛んでしまっていたようだ。
ここは最初にスポーンした草原地帯から南東に真っ直ぐきた場所にある高山地帯だ。本来なら冷えた強風が吹き付け、およそ仮眠には適さない場所だが、サイキヨは今、原始的な石造りの小さな家の中にいて、そのおかげで快適に過ごすことができていた。
「あ、キヨちゃん、起きたね?」
「……クイーンビーモン」
と、家の入り口に掛けられた布をくぐって、蜂を思わせる格好の女性型デジモン──クイーンビーモンが入ってくる。サイキヨのパートナー、ファンビーモンの究極体だ。
「大丈夫ね? どっか具合が悪いところなかね?」
「大丈夫」
人型になってもいつものお節介焼きは変わらないのが少し気恥ずかしくて、サイキヨは苦笑する。
「それより、村のデジモンたちとは話せたのかい?」
「うん! キヨちゃんと私の事情ば、分かってくれたと」
ミスティモンが率いる”守護者”を名乗るデジモンたちから逃れたサイキヨとファンビーモンがたどり着いたのは、デジモンたちの村だった。いるのは幼年期や成長期のデジモンたちばかりで、みな見慣れない人間の姿におびえていた。そこでファンビーモンが事情を説明する役を務め、その間サイキヨは村はずれの家で休ませてもらうことになったのである。
交渉はうまくいったらしく、サイキヨはほっと息をつく。しかしクイーンビーモンは少しだけ、いつものしっかりした様子からは想像できないような、いたずらがバレた子どものような表情を浮かべた。
「でも、ちょっと問題があってね?」
「問題?」
サイキヨが首をかしげたときだった。
「あの! いいっすか!」
そんな声と友に、成長期の植物型デジモン──フローラモンがひょこりと顔を出した。
「本当にありがとうございます! クイーンビーモンは、いえ、女王サマは、ウチらの村の恩人っす!」
そう断言するフローラモンに続くように、パルモンやアルラウモン、タネモンといった植物型デジモン達が一斉に顔を出し、家に飛び込んでくる。
「すごい! 女王サマ、すっごーい!」
「あのね女王サマ、私もちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「今日は女王サマが来た記念のお祭りにするから! ゆっくりしていってね!」
サイキヨはあっけにとられて、隣にいる相棒の顔を見る。クイーンビーモンはそれに気付き、心底気まずそうに目をそらした。
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.13 自由‐前編
「それじゃあ、僕が寝ている、ほんの20分か30分の間に……」
サイキヨが家に殺到するデジモンたちに目を向けると、デジモンたちは待ってましたとばかりに手を上げた。
「女王サマが壊れてたウチの家の修復をしてくれたんすよ!」とフローラモン。
「薬作って、長い間病気だったタネモンのこと治してくれたの!」とパルモン。
「すごい! 女王サマ、すっごーい!」とタネモン。
デジモンたちの言葉を聞き、サイキヨはクイーンビーモンの方を向く。建設を得意とするフォージビモンや、高い科学力を持つ クイーンビーモンの力を持ってすれば、デジモンたちの言っていたような手助けは容易だろう。
かくして、究極体の威厳はどこへやら、クイーンビーモンはサイキヨの隣で膝を抱えて恥ずかしそうに縮こまっている。
「……クイーンビーモン」
「しょうがないやん! こんなかわいい子たちが困ってたら、放っとくなんてできんし……」
「いや、おかげで歓迎してもらえたからいいけど」
新天地でも世話焼き気質全開の相棒の姿に、サイキヨは思わず苦笑して、フローラモンたちの方を向く。
「でも、本当に良いのかい。僕のことまで……」
「ぜんぜんウェルカムっすよ! キヨちゃんさんのことは女王サマからたくさん聞いたっす!」
「女王サマ、ずーっとサイキヨさんの話してたよ」
「賢くて格好良い軍師サマだって!」
サイキヨはもう一度クイーンビーモンの方を向いたが、気がつけばすでにファンビーモンに退化した上で、真っ赤になっているのを見られないように全ての足を目いっぱいに伸ばして顔を覆っていた。
「サイキヨさん、”カード持ち”だけど、いい人なんだね!」
「”カード持ち”?」
パルモンのその言葉に、サイキヨは眉を持ち上げる。ミスティモンによる襲撃の際、かの魔導騎士が同じ呼称で自分たちのことを呼んでいたのを思い出したのだ。そのとき、ミスティモンの視線は、サイキヨたちの腰に注がれていた。
「”カード持ち”ってもしかして、これを持っている人のこと?」
彼がD-STORAGEを持ち上げると、デジモンたちはおびえるように一歩後ずさった。慌てて手を下ろすサイキヨにフローラモンが言う。
「そ、そうなんすよ。少し前から、それを持ってる連中が、あちこちうろつきだしたんす」
「すっごく怖いんだよ。カードからデジモンを出して、勝手なルール押しつけて戦ってくるの!」
「捕まっちゃった子は、誰も逃げられない……」
目を伏せるデジモンたちの頭を、ファンビーモンがよしよしと撫でる。
「それって、キヨちゃんみたいな人間と?」
「ううん。人型だったけど、もっとトゲトゲしてたよ!」
「それに、なんだか赤く光ってた!」
その言葉に、サイキヨは相棒と顔を見合わせた。赤く光る人型、それがデジモンでないとすれば、自分たちがラクーナで戦っていた暴走NPCの特徴と合致する。クロスコネクティアのデジモンたちに無理矢理カードバトルを仕掛け、無力化しているのだろうか。自分のD-STORAGEをいじってみても、そのようなことはできそうにない。システムの抜け道を使い無理に実行しているのだろう。
「……アンチェインの仕業かな」
「可能性はあるね。みんなに知らせると?」
「それが、さっきから通信がつながらないんだ」
サイキヨはそう言って、D-STORAGEの通信機能を開く。ミスティモンたちから逃走して以来ずっと、本来なら通信相手が出るべき画面は砂嵐を映すばかりだった。
「みんな、逃げ切れたかな。それにユウキも……」
「だ、大丈夫! みんな強かけん!」
「ちょ、抱きつくなって!」
下を向いてしまったサイキヨを、ファンビーモンは慌てて抱きしめる。その様子を見ていたフローラモンたちは顔を見合わせると、サイキヨたちの顔をのぞき込んだ。
「あの、女王サマにキヨちゃんさん! 色々あるみたいっすけど、おなかいっぱいになれば少しは変わるかもっすよ! 今晩はこの村に泊まってってください!」
植物デジモンたちの振る舞ってくれた夕食のスープは、サイキヨのいつも食べている食事からすれば少し薄味だった。
ファンビーモンは少し不安そうにパートナーの顔色をうかがったが、彼は心のこもったその料理を、心底美味しそうに食べていた。
それから、サイキヨはフローラモンたちに請われて、たき火を囲みながら、今までにあった冒険や、外の世界の事を話した。仲間たちの勇姿のことばかりで、自分のことは控えめに語るものだから、時折ファンビーモンが口を挟んで彼の活躍を語って聞かせなければならなかった。
そうしてすっかり夜も更けて、あてがわれた空き家の一室で、ファンビーモンは、ベッドに横たわるサイキヨに話し掛けた。
「そういえば、キヨちゃん、普通に喋っとったね。初めて会う子たちやったのに」
「……別に、普通だろ」
まあ、そうなのかもしれないけど、とファンビーモンはほほ笑む。誰に対しても人見知りしがちな彼が、臆することなく話せたのは、ここが自分たちを知る人がいない新天地だからだろうか。
「それにしても、すごいな。フローラモンたち」
「ん? なにが?」
「幼年期や成長期ばかりなのに、自分たちだけであんな風に暮らしてる。おまけに、すごく楽しそうだ」
「……確かにね」
ファンビーモンたちラクーナのデジモンは、テイマーの力を借りて好きに進化出来るが、フローラモンたちはそうではない。力の弱いデジモンたちだけで、お互いに支え合って生きている。
「さっき、フローラモンに聞いてみたんだ。大変なことだらけなのに、なんでそんなに笑顔なのかって」
「答えてくれたね?」
「うん。不思議そうに笑ってた」
──うーん、なんでっすかね。ああ、自由だからってのはあるかもしれないっす! そりゃ毎日大変っすけど、うちら誰に言われてこうしてるわけでもないっすからね!
「ふふ、自由、ね」
ファンビーモンはほほ笑ましそうに笑ったが、サイキヨは真剣な顔のまま、天井を見つけていた。
「ねえファンビーモン、クールボーイさんは、この世界から現実に戻れなくなってるんだろ」
「そういう話やね」
「……僕がそうなら、べつにずっとこのままでもいい、と思うかな」
ファンビーモンは、思わず目を大きく開き、サイキヨを見る。
「キヨちゃん、なにを……」
「ああ、大丈夫。任務はちゃんと果たすよ」
「そうじゃなくて、ずっとここにおってもいいって……」
「そうじゃないか? だって、ここは自由だし、それに──」
そう言いながら、サイキヨは窓から降り注ぐ月明かりに手を浸す。
「──夜もこうして、ファンビーモンといられる」
その言葉に、ファンビーモンは思わず口ごもる。
彼が現実で、複雑な家庭環境に縛られていることをファンビーモンは知っている。デジモンリベレイターは、ラクーナは、ファンビーモンは、ずっとそんな彼の避難所だった。
当然、自分だって彼とずっと一緒にいたい。ファンビーモンは思う。
でも、そんな悲しい顔で言われても、ちっともうれしくなかった。
──インプモンなら、自分を言い訳にするなとか、現実から逃げるなとか、言っとったんかな。
けれど、その言葉が、今この場所で、自分の隣だから言えたサイキヨの本心であることも、痛いくらいにファンビーモンには分かってしまって。
ファンビーモンには、ただ、ただただ、更けていく二人だけの夜に身を任せることしかできなかった。