
DEBUG.14
真夜中、なにかが崩れるような破壊音が、寝床にいたサイキヨの耳に響いた。
それはさして大きな音ではなかったが、慣れない寝床での浅い眠りを妨げるには十分なもので──。
「キヨちゃん、大変!」
「ん……ファンビーモン? 今は何時……」
「起こしてごめん、でも大変なの! 村が!」
だんだんと目覚め始めた彼の意識は、相棒であるファンビーモンの悲鳴交じりの甲高い声で一気に覚醒した。ここはクロスコネクティアの中で、自分たちは幼い植物デジモンたちの村でもてなしを受けて、眠りについたところだったことも、思い出した。
とっさに枕もとの眼鏡を取り、ベッドを抜け出すと、駆け足で家を飛び出す。
「これは……」
月明りの下、煙を上げる家々が目に移り、サイキヨは絶句した。そうしている間にも、彼の横を、泣き声を上げて逃げるデジモンたちが走り抜けていく。
「なんだ、これ」
「キヨちゃん、あれ見てん!」
彼らが来る方向に目を凝らせば、闇夜の黒の中に、煌々と輝く赤がある。周囲の風景に不釣り合いな人工的なライトに、サイキヨはデジモンたちがなにから逃げているのか理解した。
「暴走NPC……!」
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.14 自由‐後編
「あ、いた! 女王サマ! キヨちゃんさん!」
「フローラモン!」
言葉を失っていたサイキヨたちの前に、フローラモンが駆けてくる。フローラモンは村の中心部に住んでいたはずだ。サイキヨたちの身を案じて、逃げ惑うデジモンたちと逆方向に走って、この町はずれの家まで来てくれたのだろう。その足はガクガクと震えて、恐怖をこれ以上ないほどに雄弁に伝えていた。
「昼間に話したヘンな奴らが攻めてきたんす! 何人もいて、ウチらのこと一気に捕まえるつもりなんすよ!」
「そんな……」
「アイツら、カードを使ってウチらにバトルを挑んできて……そうなっちゃうと周りの攻撃も届かないし、カードの戦い方なんて知らないし、なすすべないんすよ」
「キヨちゃん、それって……」
「うん、D-STORAGEのデバッグモードを使ったバトル展開だ」
それはラクーナ内で暴走NPCの操るデジモンから直接的な攻撃を受けたときの対処法として、デバッグチームの間でも共有されている手段だった。強制的に相手をバトルに参加させることで、カードでの対決に持ち込める。カードバトルでなら仮に敗北しても、ユニークエンブレムがある程度までデータを守ってくれる。
デッキも持たないデジモンたちに対してずいぶん強引な手段だが、相手の親玉はデバッグチームの特別顧問・アンチェインだ。その程度の無茶ならお手の物なのかもしれない。
「でもそれなら、僕たちが戦える」
そう言ってD-STORAGEに手を伸ばしながら、サイキヨはファンビーモンに目を向ける。けれど、いつもなら元気に返事をしてくれる彼の相棒は、俯いて首を振るだけだった。
「ダメだよキヨちゃん。相手の数が多すぎる。カードバトルで食い止められるのは1人だけ。戦っている間に、他の奴らにみんながやられてしまう」
それは巣を守る一匹の女王による、的確で冷徹な分析だった。ざっと見ただけでも暴走NPCは10人はいる。バトル申請で行動を縛れるのは1戦につき1人だけ。各個撃破では、救助に手が回らない。
「でも、じゃあどうすれば」
「とにかく、みんなの安全確保が第一。フローラモン、村の外に避難できそうな場所はある?」
「っす! 西の方角に、木の実採りの時に立ち寄れるように作った拠点があるっす。ちょっと狭いけど、なんとかみんな隠れられるっすよ!」
「じゃあ、まずはみんなをそこに連れて行こう。キヨちゃん!」
叱咤するようなファンビーモンの鋭い言葉に、サイキヨははっと我に返る。無力感にとらわれて状況を見失うなんて軍師失格だ。彼は唇を嚙みながら、腰の端末を操作する。
「ファンビーモン、進化──」
それと同時にファンビーモンを無数の六角形が包む。やがてそのハニカム構造から、一対の手が飛び出した。卵がかえるように、虫がさなぎから新たな姿ではばたくように、その手は槍と盾をつかみ、働き蜂は戦士に変わるのだ。
「──ヴェスパモン! 騎士の誇りにかけて、みんなを助ける! キヨちゃんはフローラモンと一緒に先に拠点まで行ってて!」
「……分かった。気を付けて、ヴェスパモン」
サイキヨはフローラモンと顔を合わせて頷くと、槍と盾を構える相棒に背を向けて、走り出した。
「みんな、無事だった?」
村を出て少し走ったところにある簡素な拠点。ファンビーモンが放った言葉に、フローラモンたちは頷いた。
「なんとか、全員逃げ切れたっす!」
「女王サマが助けてくれたおかげだよー!」
「すごい! 女王サマ、すっごーい!」
「一安心やね……」
ファンビーモンとサイキヨは顔を見合わせてほっと一息つく。自分たちが寝ていた家が町はずれにあったことが功を奏した。ヴェスパモンが事態に気づかず逃げ遅れていたかもしれないデジモンたちにも声をかけ、持ち前の護衛術で避難を誘導したのだ。
「でも、アイツらは明確にデジモンを捕まえに来たみたいだった。村からそう離れてもないし、ここもじき見つかってしまうよ」
「わたしたち、逃げられないの?」
「あ、そういう意味じゃなくて……」
無神経な言葉で幼年期デジモンたちを怖がらせてしまったことに気づき、サイキヨは慌てて首を振る。
すると、どう説明すれば理解してもらえるか分からず狼狽する彼の横で、フローラモンがその手を伸ばし、おびえる幼年期の一体、タネモンを抱き上げた。
「大丈夫っすよ! ウチらは一旦逃げてきただけっす。すぐに反撃するっすよ!」
「おうちに帰れる?」
「それは……それも大丈夫っす! ウチは強いっすから! だからみんなはここで待ってるっすよ」
笑顔で幼年期デジモンたちを落ち着けると、フローラモンは、サイキヨとファンビーモンのもとに戻ってくる。
「ってことで、旅の途中で申し訳ないんすけど、女王サマとキヨちゃんさんにも協力してほしいっす。ああは言いましたけど、ウチらだけだとけっこー厳しいっすからねー」
たはは、と笑うフローラモンの足は、さっきと同じように、さっき以上にひどく震えている。きっとすぐに逃げ出したいほどに怖いのだ。それでも、こうして立っているのだ。
「どうして」
サイキヨの口から言葉が漏れる。
「どうしてなんだ? キミたちがあいつらになすすべないことは、キミ自身が教えてくれたことだ。ファンビーモンと僕が来て、すぐに奴らは襲ってきた。僕たちのせいだって責めて、戦うのも、全部僕たちに任せたらいい」
「キヨちゃん」
ファンビーモンが制止してもサイキヨは止まれなかった。どれだけ無神経だと分かっていても、それを聞かないわけにはいかないと思ったのだ。
「キミたちにはなにもできない。それなのにどうして……」
「なにもできない、“かもしれない”っすよね」
サイキヨの言葉に被せるように、フローラモンが口を開く。
「その“かもしれない”が取れちゃうまでは、ウチはあの村を諦められないっす」
「怖くないの、というか、怖いだろ。そんなに震えて……」
「怖いっすけど」
フローラモンはまっすぐにサイキヨを見つめ返した。
「怖いのはあのトゲトゲじゃないっす。怖いのはウチらの帰る場所がなくなること。だったら、ウチはおんなじ理由で、戦えます」
気が付けば、村の成長期デジモンと、一部の幼年期デジモンがフローラモンの傍らに集っていた。
無理だ。サイキヨは言いそうになる。フローラモン、アルラウモン、パルモン、マッシュモン、両手で数えきれるかどうかという程度の人数だ。か弱いデジモンたちがこの程度集まっただけでは、なにも──。
なにも?
彼は不意に表情を変えた。視線はフローラモンから外れ、その場にいる誰のことも見ていないかのように虚空をさまよう。
「村の地図」
「はい?」
不意にサイキヨが発した言葉に、フローラモンは素っ頓狂な声を上げた。
「村の地図がほしい。地図がないなら、村の家の詳しい配置を教えて」
「な、なんなんすか」
「それから、戦うつもりのあるデジモンたち、みんなになにができるか知りたい」
ぶっきらぼうにそう言うと、サイキヨはその場に座り込み、ぶつぶつとなにかを呟き始めた。困惑した様子のフローラモンたちに、ファンビーモンがにこりと笑いかける。
「見とってね。私たちの軍師サマは、サイキョーにカッコいいんだから」
闇夜に包まれた村に、いくつもの赤いランプが灯る。暴走NPCはその単調な行動ルーティーンで、村に残ったデジモンを探して、機械的かつ破壊的な探索を続いていた。
「アレルギーシャワー!」
「ポイズン・ス・マッシュ!」
そう、単調なのだ。だから、どこかからデジモンが技を放てば、そちらの方にまっすぐ足を向ける。
危機回避行動は取れるはずだが、この村のデジモンがみな成長期以下であることは知っているようで、ほとんど警戒することなくまっすぐに進んでくる。実際、フローラモンの「アレルギーシャワー」による刺激は感覚器官を持たないNPCには通用せず、マッシュモンの「ポイズン・ス・マッシュ」も、直撃さえしなければどうということはないようだ。
だから、こちらの本当の目的である目くらましに気づかない。爆発による煙と花粉による煙幕は、NPCのセンサーを通した視界には微々たる変化だが、確実に周囲のNPCとの連携は削がれることになる。
そのことにも気づかずに、NPCは目の前に現れたデジモンを追う。このおとり役を任されたのはアルラウモンやパルモンだ。頭の花から放つ強い匂いで、視界不良の中でも仲間と互いの位置を把握しあえる。
彼らの役割はNPCの分断。そして順番に、村で一番大きな集会所にNPCを連れ込むこと。
「来たね、キヨちゃん!」
「うん、計画通りだ」
今やそこは、最強の女王と軍師による餌場だ。
セキュリティシールドを展開したサイキヨに、NPCは少し驚くそぶりをみせたが、すぐに自分のカードに手を伸ばす。
サイキヨはフードに手を伸ばす。イヤなことしかない家から逃げて、ゲームの世界でフードで顔を隠している間は、サイキョーになれた気がしていた。
しかし、彼はすぐにその手をとめた。フードを被る必要はないのだ。今自分がなんのために戦うのかはっきりと分かっている。そして隣にはそれを成し遂げる力になってくれる、最強の女王がいる。
「いくよ、ファンビーモン」
「うん! 私たちの絆、見せつけてやろう!」
だから、負ける理由なんてあるはずもないのだ。
「本当に、ありがとうございましたっす!」
明け方の紫色の空の下、フローラモンが頭を下げたのを皮切りに、村のデジモンたちが一斉に頭を下げた。改まったお礼に、サイキヨは恥ずかしそうに首を振る。
「お礼なんかいいよ。キミたちがいたからできたことだ」
「いえ、軍師サマの采配、お見事だったっす! 女王サマがほれ込むのもわかるっすよ!」
「ちょっと、フローラモン! ほれ込むはちょっと言いすぎばい!」
恥ずかしそうにいつもの2倍の速さで羽をはばたかせるファンビーモンを見て、サイキヨは苦笑する。
「でも、家直すの手伝わなくて本当にいいの? フォージビーモンの力使えばあっという間だよ?」
「ええ、先を急ぐお二人をいつまでも引き留められないですし。それに、ここは、ウチらの村っすからね」
「……僕たちの目的は話した。いつか、僕たちからここを去るように勧める日が来るかもしれない」
「その時はその時っす! お二人が用意してくれた場所なら、きっといい場所に決まってるっすから!」
フローラモンはにこりと笑った。
「いい子たちやったね」
「ファンビーモン、大人気だったな」
「に、任務を忘れたわけじゃないからね!」
「心配してないって」
いつものように2人、連れだって森を歩きながら、サイキヨはぽつりとつぶやく。
「ごめん」
「ん、なにが?」
「昨晩話したこと。キミの存在を、僕は現実から逃げる言い訳に使った」
「ええよ。逃げることはなんも悪いことじゃない」
「それでも、ごめん」
サイキヨはぎゅっとこぶしを握り締め、慎重に言葉を紡ぐ。
「フローラモンたちと話して、思ったんだ。僕はもっとちゃんと向き合わなきゃいけないって。家が怖いのは、僕が本当は家を好きだからかもしれない。母さんが嫌なわけじゃないかも、父さんが嫌なわけじゃないかも。二人とも好きで、だから二人が喧嘩してるのがすごく嫌なのかも」
「キヨちゃん……」
「僕にはまだ、あの家でたたかう理由があるかもしれない。“あるかもしれない”なんて思いながら逃げることは、もうできない」
「……」
彼はかすかにふるえていた。それは恐怖と同時に武者震いだ。その根っこが同じとき、人は強くなる、一歩“進化”するのだとファンビーモンは思う。
「きっと逃げたくなる日も、逃げてしまう日もあるけど、リベレイターを守るこの戦いが終わったら、もう一度、向き合ってみるよ。僕の戦場にさ」
「……うん、それがいいよ。それがいい!」
ファンビーモンは心底嬉しそうに、何度も何度もうなずいた。
「あ、でも私に会いに来てくれなかったらイヤだからね?」
「当然だよ」
「ふっふっふー」
「なんだよ、変な笑い方して」
「なんでもないよ?」
そんな軽口をたたきながら、小さな戦士たちは、かすかな羽音を残して、新たな戦場に踏み出した。
To Be Continued.