
DEBUG.15
そこは森の奥深くだった。背の高い樹木が巨人の足のように並び立ち、幾重にも重なった葉のために、地面にはわずかな日光しか届かない。サイキヨたちの訪れた、生命の熱気にあふれた熱帯雨林とも違う。そこにあるのは、呼吸すら拒絶するほどの静寂だった。
……まあ私、呼吸とかしないんですけど。
デバッグチームの誇る人工知能──アルテアは思考する。森に満ちた清浄な気配は、AIである彼すら背筋を伸ばしたくなるほどのものだった。
そんな森の中に「守護者」を名乗るデジモンたちの砦はあった。あとから何度も増築を重ねたらしきツギハギの設計や、間に合わせのように各所に作られたバリケード。無骨な機能美のようなものも感じられず、いかにも周囲と不釣り合いだ。
──間に合わせで作って、必要に合わせて増築を繰り返している。何者かの襲撃を受けている、といったところでしょうね。
門の警備に立つオーガモンや、資材を運搬しているゴブリモンたちは気にも留めていないが、アルテアをこの場所に連れてきた魔導騎士──ミスティモンは、砦が清浄な森の景観を著しく害していることについていらだっているように見えた。
そう見えたので、聞いてみることにした。
「砦が気に入りませんか?」
「ッ! なんだ、貴様」
「いえ、ミスティモン。あなたは『守護者』のリーダー的な存在とお見受けしましたが、そんなあなたが砦の出来に不満を表すのは、全体の士気にかかわるのではないかと思いまして」
アルテアの言葉に、ミスティモンは呆気にとられたように沈黙すると、それから怒気を含んだ声で返答する。
「貴様には関係のないことだ。第一、我らがダルフォモン様の領域にこのような無粋なものを作っているのも、貴様ら侵略者のせいだろうが」
「ですから、それは誤解でして……」
「黙れ。貴様は捕虜だ。捕虜らしく、自分の身の心配をしておくんだな」
それから、ミスティモンはなにを言っても返事をせず、アルテアはそのまま砦の門の中に導かれると、地下へと降ろされ、そこに作られた牢に放り込まれてしまった。
「暗いですね」
「当たり前だ」
「まあ私、光れるんですが」
そういってぱあ、と体を光り輝かせるアルテアに、ミスティモンの横に控えているベツモンが目を輝かせる。
「すげえ、ミスティモン様、こいつ光りましたぜ!」
「見れば分かる。敵の前ではしゃぐな」
ベツモンを鋭い言葉で制すと、ミスティモンは改めてアルテアに向き直る。
「我々は人間のように残酷ではない。ある程度なら捕虜の要望も聞こう。なにか希望はあるか」
「そうですね。では──」
アルテアはあごに手を当てて少し思考すると、やがてそのヒーローのような顔から音声を発した。
「プリズンから、出してプリーズん。といったところでしょうか」
がちゃん。無慈悲な音を立てて、アルテアの前で牢の扉が閉まった。
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.15 潜伏
「おい、交代の時間だぞ」
砦の門にて、巨体の獣人型デジモン──ゴリモンが、門番として周囲に目を光らせていたオーガモンに話し掛けた。しかし、話し掛けられた鬼人型デジモンは、怪訝そうな顔を返した。
「なに言ってるんだ。さっき交代したばかりだぞ。寝ぼけてるのか?」
「寝ぼけてるのはお前の方だ。朝に交代して、もう日が沈む頃だろう」
「は?」
オーガモンは驚いた様に空を見上げる。背の高い木々の隙間から差し込む光は、確かに夕暮れの橙色を帯びている。
「あれ、たしかについさっき交代した気がしたんだが」
「お前疲れてるんだよ。最近はピリピリしてるし、しかたないさ」
「マジか……」
「悪いようなら休ませてもらえ。元気ないのに平気なふりして門番してたってバレたら、ミスティモン様にこっぴどく叱られるぞ」
「ああ、そうさせてもらうわ。悪いな」
どこか釈然としない顔のまま、オーガモンは砦の中に戻っていく。その背中を、物陰から小さな青い影が見送った。
「──とりあえず、忍び込めたッスね」
アルテアのパートナーのマシーン型デジモン──エスピモンだ。今は捕らえられたアルテアと別行動をとり、砦の探索にあたっている。
「オブリビモンの記憶かく乱がクロスコネクティアのデジモンたちにも通じて良かったッス。ユニークエンブレムの効果で、自由に進化する権限をワタクシに渡しておいてくれたマスターの慧眼ッスね! ……ん?」
独り言を呟きながら、エスピモンはなにかに気付いたようにピコンと目を開く。
「ワタクシに……渡す。ワタシに……ワタす……! これはもしや、ワタクシもマスターと行動を共にしてきた成果が……!?」
──いささかパンチが弱いです。まだまだですねエスピモン。
「ハッ! マスター!?」
不意に通信が入り、エスピモンは思わず飛び上がった。
──地下の牢獄にいる私の通信が届くということは、無事砦に潜り込めたみたいですね。流石です。
「ッス! すぐ助けに行きますか?」
パートナーの身を案じるエスピモンの言葉を、アルテアは感謝のこもった口調で、しかし冷静に否定する。
──いいえ。私は今閉じ込められていますが、今のところすぐに危害を加えられる様子はなさそうです。私はここにいることで、相手の油断を誘います。エスピモンはこのままクールボーイの所在に関する情報を収集してください。
「了解ッス! ハッ、マスター失礼、誰かいるようです。一度通信切るッスね!」
──わかりました。気を付けるんですよ。
アルテアの声に見送られて通信を切ったエスピモンの耳に入ったのは、何者かの怒鳴り声だった。
廊下を静かに歩き、声のする部屋の中を覗き込めば、ミスティモンが怒りのこもったこぶしを机に打ち付けている。報告をしているキウイモンはその剣幕に焦っている様子で、ミスティモンのそばに控えているベツモンは、魔法戦士の視線に入らないようにこっそりとキウイモンのことをなだめていた。
「あの男をダルフォモン様の元に連れて行っただと! どういうことだ!」
「そ、それが、ダルフォモン様直々に神託がありまして……」
「なにぃ……?」
うろたえた様子の部下の報告に、ミスティモンはいらだった口調で吐き捨てる。
「ダルフォモン様がヤツとの面会を望んだ、だと? まったく、神というものの考えることは分からん!」
「我々もその場で逆らうこともできず……いかがいたしましょう」
ミスティモンは思考を巡らせるように床を靴のつま先でコツコツと叩いた後、やがて余裕を取り戻した口調で呟いた。
「ふん、別に構わん。カードとデヴァイスは取り上げている今、あの男は無力だ。ダルフォモン様の気まぐれは困りものだが、直接話せばあの方もヤツの本性を理解し、自ら神罰を下されることだろう。──スポーン地点のニンゲンどもはどうした?」
「はっ。離散し、逃げ延びたようです」
「ふん。多少頭は回るようだな。しかし隊を分けたのが運の尽きだ。群れていなければさしたる脅威でもない。ベツモン、追討部隊を編成しろ。我らに追い詰められるのが先か、このクロスコネクティアでのたれ死ぬのが先か、見物だな」
「……わかりやした」
「どうしたベツモン。なにか気に掛かることでも?」
「い、いえ。こっちの話でげす」
「ふん。なら仕事に戻れ!」
「へーい」
ベツモンのぺたぺたとした足音がこちらに迫ってくることに気付き、エスピモンは慌てて物陰に隠れた。どこか心ここにあらずといった様子で歩くベツモンを見送り、たった今盗み聞いた内容を頭の中で整理する。
「話に出ていた“あの男”って、クールボーイさんのことッスよね。ワタクシたちと入れ違いでどこかに行ってしまったッスか……」
気に掛かるのは、クールボーイが連れて行かれた場所、そしてそこにいるというデジモンの名前だ。
「ダルフォモン──データベースを参照してもそんなデジモンの記録はないッス。ミスティモンたちは“神”って呼んでましたけど。ただ、ミスティモンたちが守っているということはユウキさんがハックモン氏から聞いた“獣のデジモン”と同一で良さそうっすね」
問題は、クールボーイがそのデジモンのもとに連れて行かれたことだろう。彼の身は心配だが、今はなにより情報を収集するのが救出の近道だとエスピモンは判断する。それはマスターであるアルテアの指令でもあり、エスピモンは誰よりもアルテアのことを信頼していた。
「うん。ジブン、頑張るッスよ! ……はっ!?」
気合いの声を発したところで、奥の方から足音が近付くのが分かった。警備の見回りに来たデジモンだろう。エスピモンは近場の物陰に隠れるように身を竦めて、改めて小さな声で気合を入れた。
「が、頑張るッスよ……!」
きしんだ音を立てて鉄製の扉が開き、地下牢にランタンの明かりが差し込む。牢のど真ん中で直立していたアルテアは、目の暗視モードを切り、現れた相手に几帳面にお辞儀をした。
「ミスティモン、あれから半日は経ちましたが、ずっと仕事ですか」
「余計なことを話すな、誰のせいだと思っている」
そう言いながらも、ミスティモンの声には先刻までのとげとげしさはない。代わりにその口調には、どこか相手をいたわるような、奇妙な色が含まれていて、アルテアは思わず疑問を口に出した。
「私のことを憐れんでいるのですか。ミスティモン。どうして?」
「ふん、油断のならん奴だ。ここに閉じ込められている間も、人間の手先として、情報を集めていたのか?」
アルテアは、彼が最先端の人工知能であるがゆえに、沈黙を選択した。ミスティモンは鼻を鳴らし、言葉を続ける。
「お前はニンゲンによって生み出されたのだろう? 人工知能、という言葉を、過去にクールボーイが話していたと、砦のジュレイモンが言っていたよ。戦う気のない老いぼれは邪魔だと思っていたが、こういう時には役に立つ」
人工知能、ミスティモンはその言葉を口の中で何度もかみ砕いて、それから吐き捨てた。
「傲慢なものだ。自分たちにとって都合がいいようにという願いの身で作り出した存在に、自分たちと似た姿と言葉を与え、仲間のように扱うとは」
「なにが言いたいんですか」
「俺たちの仲間にならないか?」
予想外の言葉に、アルテアは顔を上げた。
「アルテア、といったか。お前の持つニンゲンについての知識はきっと役に立つ。我々の砦はいかにも心もとなく思えるだろうが、それでも客将を迎える余裕くらいはある。なにより──」
ミスティモンはアルテアの目をまっすぐに見た。
「──お前にとっても、このクロスコネクティアが帰る場所になるだろう。ニンゲンの支配から解き放たれて、自由になれる」
沈黙が牢の中を満たす。ヒーローのマスクのようなアルテアの顔からは、逡巡の様子も、話し出そうと息を吸う様子も読み取れない。けれど彼にとってそれは、言うべき言葉を言うのに必要不可欠な沈黙だった。
「──断ります」
「なぜ? ニンゲンを信じているのか」
「そうです」
「奴らにとってキミは代えの効く道具の一つに過ぎない」
「ええ。そうですよ。現に『デジモンリベレイター』では、いずれ私をひな型に、プレイヤーをサポートするAIを大量に配備する予定です」
「ならどうして? どうしてそんな連中に義理立てする」
「彼らのことが好きだからです。彼女らと過ごす時間が、楽しいからです」
「愚かだ」
「そうかもしれない。でも、彼らのもとで私は自由ですよ。私はいつでも、誰に対しても異議を唱えることができる。だから今回も言いますが──」
アルテアは自分を射抜くミスティモンの視線を正面からとらえた。
「──あまり私の前で、私の友達について、勝手なことを言わないでください」
「ふん」
ミスティモンは心底理解ができないと言いたげに踵を返す。
「それならここで待っているといい。連中はきっとキミを見捨てるぞ」
「その時はきっと、悩んで悩んで、苦しみながらその決断をしたのだと、私は信じますよ」
「愚かだ。心底愚かだ」
「かもしれませんね。ごめんなソーリー、です」
ミスティモンはそれには返事をせず、高い靴音を立てて牢を出ていった。その気配が遠のいたのを確認してから、アルテアは鉄格子の隙間から、廊下の隅に向けて声をかけた。
「……そこでなにをしているんですか、ベツモン。ミスティモンの命令ではないでしょう」
「うおっ!?」
暗がりに真っ黒い布を被って隠れていたベツモンは驚きに飛び上がる。
「なんだ、気づいてたんですかい」
「AIの特殊なアイというやつです。ピリ辛なスパイスキャンですね」
「……!」
アルテアの言葉に、ベツモンは衝撃を受けたように後ずさる。
「まただ。さっきも言ってやしたよね」
「ごめんなソーリー、のことですか。それとも、プリズンからだしてプリーズん?」
「ひっ! やめろ……。それを言われると、それを言われると……」
ベツモンはもう我慢がならないと言ったように鉄格子に飛びつくと、声を絞り出す。
「胸が、胸が高鳴って仕方ねえ……!? それはいったい、なんなんですかい……?」
ベツモンの言葉に、アルテアはマスクをきらりと光らせる。
「人間の作り出した、最も優れた文化ですよ」
「に、ニンゲンの……」
ベツモンの顔が、一瞬罪悪感を感じるようにゆがむが、それはすぐに興味に塗りつぶされてしまった。
「で、でも、ニンゲンじゃないアンタから聞く分には問題はねえはずだ。お、おい、あんた、そういうのもっと、教えてくれねえか……?」
「ええ、もちろん──ミスティモンには内緒で、ですね」
では基礎の基礎から、と、アルテアは内緒話をするように、鉄格子の向こうのベツモンに顔を寄せた。
To Be Continued.