DIGIMON LIBERATOR

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novel

DEBUG.16-1

 日本の夜空は久しぶりだ。
 コンビニの袋を提げた帰り道、城之崎観来はそんなことを考えながら、空を見上げて大きく息をした。ぽっかりと丸い月が空に浮かんでいた。
 ここは故郷から離れた町ではあるけれど、肌を撫でるぬるい風も、少しじめっとした夜の空気も、これまで訪れた世界のどの街よりも、自分という人間にぴったりと馴染むものだ。
 6年近く離れていたのに、自分にとっての故郷は未だにこの国だけらしい。その事実は温かなものであると同時に、彼女を少し憂鬱にさせた。

「ったく、ままならないものだねー」

 そう呟きながら大きく伸びをして、彼女はスマートフォンを開く。メッセージアプリを開くと、もうしばらく会っていない友人のアカウントに通話をかけた。彼とは幼馴染と言える間柄だが、引っ越した後は親同士が時折連絡を取るくらいで深い親交はなかった。
 甲高い待機音が鳴る。今更になってせりあがってくる緊張を打ち消すために、わざとらしく大きく息をする。
 10秒、20秒を数えたところで、相手が電話を取った。

「はい──」
「やっほお、久々だねえ。オーくん! まだアカウント生きててよかったよー!」

 彼女の言葉に電話口の向こうのオーくん──オーウェン・ドレッドノートはため息を返した。

「……ミライか?」
「そうそう、久しぶり! お母様は元気にしているかな?」
「……ああ、最近は元気にしている」
「へぇー」
「なんだその反応は」
「別に?」
 
 怪訝そうな言葉を吐くオーウェンに観来は笑う。
 もしこちらから掛けたのでなければ、電話の向こうから聞こえてくる声があのオーウェンだとは分からなかっただろう。観来は思う。前に話したのは10年近く前で、当然といえば当然なのだが、それ以上に──。

「──ただ、ずいぶん変わったなあと思ってねえ。昔はカワイかったのに」

 観来が知るクラスメートの彼は素直ではないところはあれど、よく笑う少年だった。けれど今、デジモンカードゲームの大会の優勝者として各地でインタビューに応えている彼は、あまり人を寄せ付けない空気を身にまとっている。

「最近その感じなのは知ってたけど、表向きのキャラ付けってわけじゃないのね」
「昔の話だ。大体、前に話したのは──」
「オーくんが日本離れたのが10年前でしょお? それからクリスマスカードくらいはやり取りしてたけど、私が6年前に家出ちゃったから……」
「……それだけの時間があれば、印象だって変わるだろう」

 呆れたようなオーウェンの声に観来はけらけらと笑う。

「ま、そりゃそうね。改めて考えると超久しぶりだあ」
「それで? 6年も話していなかったヤツが、いったいどういうつもりだ?」
「んー? 別に? ただ久々に日本に帰ったから、オーくんの顔思い出しただけだって」
「……本当にか」
「なにそれ。疑われると傷つくんですどお」
「お前が今夜電話をかけてきたことに、特別な意味があるんじゃないかと聞いている」
「イミなんてないよ。ま、今日久々に顔見たってのはあるけどね」
「……ワールドチャンピオンシップの決勝か」
「そうそう、それ。連覇おめでとう。すっかり絶対王者って感じだねえ」

 あっけらかんとした観来の言葉に、オーウェンは苛立たしげに首を振る。

「それで、わざわざ6年ぶりに電話を?」
「そのとおり」
「本当に何の含みもないんだな?」

 ──そうね、久方ぶりにインタビューで顔を見たら、幼馴染の顔がめっちゃめちゃコワくなってて、ちょっと気になっただけ。でも、そんなこと言ったら、この電話、すぐ切られちゃいそうだし?

「なにそれ、私は幼馴染のオーくんに電話をかけただけでえ、デジモンカード界の有名人には何の用もないよ。そういう電話があっちゃいけない?」
「……」

 しばしの沈黙の後、オーウェンは降参だとでも言いたげにため息をついた。

「分かった。少しだけだ」
「もちろーん! こっちもコンビニからの帰りだけだからさ」
「そういえば、今、実家なのか?」
「いやー? さすがに合わせる顔ないでしょおよ。次の旅の資金稼ぐ間、友達の家転がり込んでるんだ」
「……」
「ちょっと、何か言ってよお」

 呆れてものも言えないといった態度のオーウェンの沈黙に、観来はくちびるをとがらせる。まんまるい月がぽっかりと、夜道を行く彼女の上に浮かんでいた。

DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.16-1 Moonlight Talk

「実家とは連絡取ってるのか」
「ま、ぼちぼちかなー」
「有紗、だったか。妹とは? 前に話したのはいつだ」
「……2ヶ月前」
「メッセージアプリの話じゃない。電話でも何でも、実際に話したのはいつだって聞いてるんだ」
「うう……」

 オーウェンの詰問するような口調に、観来はつぶれたカエルのようなうめき声を漏らした。
 いや、仕方ないのは分かる。さっきは軽く言いはしたが、そ知らぬふりで電話をかけたのは、大舞台での勝利にもちっとも嬉しそうではないオーウェンを気遣ったからに他ならない。きっと彼にはデジモンカードも何も関係ない知人との会話が必要だったりするんじゃないかなあ、などとなんとなく思ったのだ。
 しかし思い付きで電話してみたはいいが、彼としっかり話すのはほとんど10年ぶりになる。その間見てきた彼の姿と言えばデジモンカードの世界王者として活躍するもののみで、当然思いつく話題はそれに関わるものになってしまう。
 そのため、話の矛先は自然と観来の方に向くことになり──。

「たまには連絡を取れ」
「オーくん、お母さんみたいなんだけどお……」

 ──気遣いから電話をかけておいて、なぜか逆に家族関係を心配される情けない22歳の完成、というわけだ。

「親御さんは心配しているんじゃないのか」
「そうでもないよ? 定期的に連絡して、居場所と安否だけ伝えればあとは自由にしなさーい、って感じかな」
「なら、どうして帰らない。家族との交流に抵抗がないなら、日本に帰った時に実家に立ち寄らない理由はないはずだが」
「痛いとこつくねえ……さすがデジカ世界一」
「持ち上げてもムダだ」
「これはこれは失敬」

 冗談めかして笑ってから、観来は通話相手に聞こえないようにため息をつく。実際それは突かれたくない部分だった。

「ほら? りーちゃん、受験頑張るみたいだしい? 今帰って騒がせちゃっても勉強の邪魔かなあって」
「確かまだ高校一年生だったな? 受験期真っただ中ならまだしも、今からそんなことを言っていたら、帰る機会など一生来ないだろう」
「えーん、オーくんお母さんじゃないわ。うるさい小姑さんだわ」
「何と言われてもいいが、家族との時間は大切にしろ」
「……まじめな口調でそれ言うのは、ずるいでしょおよ」

 彼の母親が倒れ、ドレッドノート家の帰国が決まるまでの一幕は、観来の意識の外で起こったことだった。
 友達と遊んで夕方ごろに家に帰ると、両親があわただしく仕事や各所への連絡をしており、まだ幼い妹の有紗の面倒を見るよう頼まれた。夕食時になっても両親が家に帰ってくることはなく、おっかなびっくりに作ったレトルトカレーを有紗と食べて、不安そうな彼女を元気づけながらお風呂を済ませて、一緒に寝た。
 翌朝、起きた2人を食卓で待っていたのは疲れた顔の両親で、オーウェンの母のこと、彼らが母国へ帰ることになったのを聞かされた。当時の観来にも事の重大さは分からなかったのだから、幼かった有紗はオーウェンたちのことはほとんど知らないはずだ。

「あ、そういえば──」

 そこまで記憶をさらって、思い出した。クラスの女の子たちと帰っていた観来に、びくびくしながら話してきた後輩の男の子。質問はデジタルモンスターについてで、仲良しのオーウェンの知らないデジモンの知識を身に着けて驚かせたいとのことだった。
 それ以来、観来は時折彼と会ってはデジモンのアニメや携帯機の話をした。それが家族ぐるみの付き合いの始まりで、今では妹の有紗に何かと世話を焼いてくれているらしい。

「──そういうオーくんはさあ、今でも日本の友達と連絡取ってるわけ?」
「急になんだ」
「ほら、風真さんちのショーちゃん、いたでしょ。オーくんショーちゃんって、いっつも一緒だったじゃない」
「……いいや」

 電話口の向こうの声が露骨に重くなったことに気づき、観来は思わず眉を上げる。

「ちょっとちょっとお、何かあったの?」
「いいや、何もない」
「何もないって声色じゃないけど」
「いや、本当に何もないんだ。──アイツは逃げてしまったんだろう」
「……」

 含みのある彼の言葉は、しかし明確にそれ以上の問いかけを拒絶していた。観来としても、風真照人と彼の間にあったことを深堀りしてオーウェンを傷つける気はなかった。
 しかしここで完全に引き下がってしまうような人間なら、そもそもいきなり電話をかけたりはしない。それに、深刻さを秘めた口ぶりのオーウェンを放っておけないのも確かだった。

「オーくんはさ、逃げるのは、いけないことだと思う?」
「……どういうことだ」
「オーくんとショーちゃんの間に何があったかは知らないけど、もしもオーくんが逃げられた! って思ってるなら、そしてそれがデジカに関係することならさ──」

 思い浮かべるのは、毎年世界のあちこちから中継で見ていた決勝での彼の姿。瞳の奥に炎を燃やしながら、何かが足りないようにバトルエリアに視線をさまよわせるその表情だった。

「──オーくんが、“逃げられなくなってる”ってことはない?」
「……」
「だとしたら、まずやるべきことは、自分を追い詰めるのをやめることだと思うけど」
「……何のつもりだ」
「別にい? 逃げ上手な幼馴染からの忠告」

 痛いほどの沈黙が、通話口の向こうから聞こえた。観来は街灯の下で足を止めて、次の言葉を待つ。電灯がじりじりと音を立てて白熱する音だけがあたりを満たした。

「──それでも」

 たっぷり1分の時間をおいて、オーウェンの声が夜の空気を破った。

「俺は、まだここで闘わなければいけない。他の誰のためでもなく、俺自身がそうしたいと思うからだ」
「……そっか。それなら、私がとやかく言うことじゃあないね」

 観来は小さく呟いて、足をとん、と動かすと、街灯の光の外に踏み出した。

「そういうお前はどうなんだ」
「私?」
「さっき自分のことを“逃げ上手”だと言ったな」

 ……ああ、そこ、聞かれちゃうよねえ。

「“逃げ”というのは、家を出て旅に出たことか? そう気づいたから、日本に戻ってきた?」
「そんなことはないよ」

 観来は力を込めて言う。

「私は旅に出たくて旅に出た。何かから逃げたかったわけじゃないよお。でも──」

 今思えば裕福な家の娘の甘えた夢だったとは思うが、それでも後悔は微塵もしていない。ただそれで両親や妹に胸を張れるかというと、それはまた別の話なわけで──。
 6年の旅を経て、ゆっくり自分を見つめなおしたくなったのも確かなのだった。

「──今は、ちょっと、足を止めてみることにしたんだ。それだけ」
「それなら、しばらくは日本に?」
「まあね。次の旅の資金も稼がなきゃだし」
「……ふむ」

 観来の言葉に、オーウェンは少し考えこむように黙り込むと、やがて何かを思いついたように口を開いた。

「それなら、やってみたらどうだ」
「へ、なにを?」
「リベレイター、だよ。デジモンリベレイター」
「ああ、来年サービス開始するっていう、あの?」

 予想もしなかった言葉に、観来はすっとんきょうな声を上げる。

「今でも最新情報はよくチェックしているようだな。ただ、クローズドβの募集が始まっていることまでは知らないだろう」
「ほぉ~、一年も前からやるの」
「俺も少し触らせてもらったが、VR空間の表現は見事なものだし、マップも広大だ。旅が好きなら、気に入るかもな。申し込んでみるのも悪くないんじゃないか?」
「……ふうん」
「それに、お前の妹もやるんじゃないか?」

 その言葉に、裏返った声が喉から漏れる。

「え、りーちゃん? まあ確かにデジモン好きだったけどお。というかそもそも、私あの子に合わせる顔ないって──」
「そろそろ時間みたいだ。切るぞ。お前がいつか、自分を突き動かす“熱”に会えることを願っている」
「──え、ちょっとオーくん!? ……切りやがったねえ」

 もううんともすんとも言わないスマートフォンの画面に目を落として、観来は息をつく。

「……デジモンリベレイター、か」

 普段の自分だったら興味を持つことはなかったかもしれない。妹がプレイするかもしれないなら、なおさらそこに私がいてはいけないのかもしれない。でも──。

「他ならぬオーくんの提案なら、やってみる価値あり、かもねえ」

 ──あの日の私は、クラスに一人だけいた、外国から来た友達の話を聞いて、世界にあこがれたんから。

 D-STORAGEって通販で買えるんだっけ。受け取り住所は友達の家にしていいかな。そんなことを呟きながら、観来は夜の街を行く。頭上では銀色の月が、彼女のことをいつまでも照らしていた。

 ──そうしてリベレイターのβテストに参加して、はや1年が経ったわけだけれど。

 ラクーナ内、エメラルドコースト。観来は緑色の風が吹き抜けるエリアの青い空を見上げ、大きく伸びをした。

「私、やっぱりカードはそこまで得意じゃないんだよねえ」

 人気のない区画に来ると、背中を地面に預けて寝転がり、目を閉じて、風を感じる。近くには竹かなにかの林があるらしく、さわさわという葉擦れの音が心地いい。うん、当然バトルもイヤではないが、自分はやはりこういうのが好きだ。
 クローズドβの最中はもっぱらバイクを走らせてラクーナ中を走り回っていた。その過程で多くのバグを発見したことでGMから重宝がられはしたが、バトルのシステム面やクエスト攻略のデバッグにはあまり参加できず、他のチームメイトとの交流もあまり持てないまま今に至っている。
 このゲームのことも、デジモンたちのことも大好きになっていたが、オーウェンの言う“熱”はついぞ見つかっていなかった。

「……りーちゃん、来るよね」

 聞いてもいないのに両親が教えてくれたところによれば、有紗もずいぶん前からデジカにハマっているらしく、リベレイターのサービス開始に際し、さっそくD-STORAGEを買ったらしい。論理的で一つのことに集中したら止まらない彼女は、きっとカードゲームが得意だろうと思う。
 いつかばったりラクーナで出会ったりしたら、バトルすることにもなるのだろうか。その時に恥ずかしくないよう、ちょっとは練習しておくべきかな。
 そんな考えが頭をよぎって、彼女はぶんぶん首を振る。こんな不純? なことを考えているからゲームに熱中できないのだ。しっかりしろ私。
 と、その時だった、なにか甲高い音声が風に乗って彼女の耳まで運ばれてくる。人の声のようにも聞こえるが、あたりに人影はなかったはずだ。

「ん? なんだろ……」

 音の出どころを探して身を起こした観来の視線は周囲をさまよい──やがて、背後の竹林にくぎ付けになった。
 背の高い竹のオブジェクトが何本も並び立つ中に、一本、黄金色に光る竹がある。
 それだけではない。その光からは、まるで何かの待機音のように、繰り返し少女のような声が発せられているのだ。あえて言葉にするなら──。

「ワラワーワラワーワラワーワラワー」

 ──といった感じ。
「え、ナニコレ……」

 そういう仕様? それともバグ? そう慌てながらも、彼女は何かに惹かれるように光る竹に手を近づける。
 その手が触れた瞬間、カポ~ンと音がして、竹がきれいに二つに割れた。中からは、美しい姫──ではなく、表情の読み取れないハニワのようなデジモンの顔が現れる。

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「──そなたが、わらわのしもべとなる人間かえ?」
「あ、え?」
「ふむ、反応に難あり、と。先が思いやられるの。だが仕方ない。わらわの輝かしいオーラのせいで、このまま隠れるのも限界があったからの」

 その尊大な態度にしばし呆然とした後、観来は表情を明るくする。

「えーーー、めっちゃかわいいじゃないのお!」
「うん? よく分からんが、わらわの輝きが伝わったのなら良いじゃろ。ほら、わらわを運ぶがよい」
「うん、運ぶ運ぶ!」

 そう言いながら、彼女はハニワのデジモンの胴体をつかみ、思い切り引っ張る。竹から円筒型の胴体が抜ける、スポンという音がした。

「これ! もっと丁寧に扱わんか」
「あは、ごめんごめん」
「ふん、まあよい。わらわはハニモン。わらわのしもべになれることを光栄に思うがよいぞ」
「ハニモンっていうんだー。私は観来。よろしくね」

 そんな名前のデジモン知らないとか、オブジェクトにデジモンが隠れるなんてことあるのかとか、そんな疑問はすっ飛ばして、彼女は手を伸ばし、ハニモンと握手を交わす。

 それが、きっと城之崎観来と新しい“熱”の出会いだったのだと、彼女が妹に語るのは、きっともっとずっと先の話だ。

To Be Continued.

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