DEBUG.22
「ここが……」
“守護者”の砦のほど近く、森の最奥と言えるその場所で、銀髪の青年──クールボーイは感嘆の息をついた。
そこは彼の予想とは違って、生命の気配に満ちた場所だった。エメラルドコーストの密林エリアよりもなお騒がしく、それでいてどこか浮世離れした、清浄な気に満ちている。
折り重なる木々の葉にさえぎられ、もはや日の光すら届かないが、目の前の光景ははっきりと見える。周囲のコケやシダが、淡い光を放つ胞子を放っていて、それがこの幻想的な景色を照らし出しているのだ。
「この先が、森の最深部。ダルフォモンさまのお住まいじゃ」
「ありがとう、長老」
クールボーイは背後に立つ巨大な老木のデジモン──ジュレイモンに礼を言う。クールボーイを連れてこいというダルフォモンの宣託に従い、捕虜として“守護者”にとらわれていた彼をここまで連れてきたのが、他ならぬジュレイモンだった。
「なに、砦の若い連中はみなここのことを恐れて近寄りたがらんからな。わしが案内するよりほかなかった、というだけのことじゃよ」
「ミスティモンの判断を仰がなくとも良かったのかい?」
「あの坊主もダルフォモン様のお告げには従わざるを得ん。奴があれこれと悩む手間を省いてやっただけ、感謝されてもいいくらいじゃな」
「なるほどね……」
彼はかつてのことを思い出す。ラクーナが発見される前、クロスコネクティアをデジモンたちの保護地としてゲーム化しようと動いていたころのことだ。現地のデジモンたちが神のようにあがめるダルフォモンというデジモンの存在を知り、自ら会いに行った。
そこで出会ったのが“守護者”のデジモンたちだ。当時は今のように高度に組織化されてはおらず、あくまで強力な究極体デジモンであるジエスモンを旗印に集ったダルフォモンの信奉者たち、といった印象だった。
ダルフォモンと直接話すことは許されなかった。いつも間にはジエスモンが立っていて、デジモンたちの信用を勝ち取るためにクールボーイは何度も森に足を運んだ。そうして自分たちの理念と、デジモンを助けたいという気持ちを理解してもらい、やがて打ち解けた。
彼らとの交流は長く続いたが、やがてラクーナが発見されると、デジモンたちに致命的な毒で満ちたそちらをどうにかするのが急務となった。クロスコネクティアよりもはるかに広いラクーナの環境を整え、やがてクロスコネクティアのデジモンたちにもこちらに来てもらう、そういうプランだ。
しかし、ジエスモンや現地のデジモンたちの理解を得るため、慎重に話の切り出し方を探っているうちに、ラクーナで暴走NPCの出現をはじめとする様々な異常が始まった。クールボーイも多忙を極め、十分な話ができないままにクロスコネクティアに足を運べる機会は減っていった。
クロスコネクティアの時間の流れは現実世界よりも早い、クールボーイが思う以上に、デジモンたちは長い時間を待ったことだろう。
……見捨てたと思われても、仕方がないな。
後悔が止むことはないが、それでも思考を止めるわけにはいかない。それほどに、このクロスコネクティアの現状は、彼の知る者から様変わりしていた。
「長老、聞いてもいいかな」
「なんじゃ」
「ミスティモンは、いつからあれほど苛烈になったんだろう」
クールボーイは、かつてのミスティモンとも面識があった。あの頃はリーダーであるジエスモンの副官的な役割で、魔法戦士らしい神秘への深い理解を生かして、周囲のデジモンたちを支えていた。もう一体の副官で、融通の利かない武人だったパンジャモンを穏やかに諫める場面もあり、思慮深い慎重派という言葉がよく似合うデジモンだったはずだ。
「キミたちが僕に怒るのは無理もない。だが、あそこまで過激な行動をとるのはあまりに意外だったんだ」
「ふん……」
クールボーイの言葉に、ジュレイモンは鼻を鳴らした。木のうろの中で光るその目は、もう遠くなってしまったいつかの日々を見ているようだった。
「奴は昔から変わっとらん。ただ頭ばかり回る坊主のままじゃ。ただ、その回る頭で、ああするよりほかないと、決めてしまったんじゃろうな」
「……」
「わしも今の奴のやり方は好かん。しかし、奴がいなければ“守護者”は今ごろまとまりを欠いていただろう。天変地異に加え、外からやってくる謎の敵が相手では、なすすべもなくやられていたかもしれん」
「彼が、憎まれ役を買って出ていると?」
「そこまで立派な奴ではない。ただ、ジエスモンの後釜として、過ぎた責任を自分に課しているだけじゃ」
裏腹無くまっすぐなジエスモンの目と言葉がクールボーイの脳裏をよぎる。あの聖騎士の後を継ぐのは、どれほどのプレッシャーだっただろうか。
「もっと、誰かを頼ればいいと、わしは思っとるのじゃがな。なにを言っても老いぼれのたわごとと思われるだけじゃ」
そう言って、ジュレイモンはクールボーイのことを見据える。
「クールボーイよ。わしはお主がこの世界を見捨てたとは思っとらん。ニンゲンにはニンゲンの事情があるんじゃろう。じゃが……お主らの行動が、あの坊主に今のような境遇を強いる原因になったことは、恨めしく思っているよ」
「ジュレイモン……」
「お主は賢明じゃ。きっとこの状況もどうにかするのだろう。しかしすべてが終わった時、必ずミスティモンや、ニンゲンを恨むすべてのデジモンたちに、謝りに来い。お主ならきっと、再び和解をすることもできるはずじゃ」
「……どうでしょう、僕はそれほど立派ではない」
「それなら、自分は期待させたほどに立派ではなかったと、頭を下げればいいのじゃ。さもないと、お主自身が不幸になる」
「……」
クールボーイはジュレイモンの視線から思わず目を逸らす。怖かったのだ、自分という人間を見透かされるのが。
デジモンたちを救うという透明な理想は、確かに彼の心の中にある。けれどそれと同時に、彼の思考はデジモンや仲間の人間、世界すらも天秤にかけながら、始まってしまったこの戦いに勝利する術を冷徹に計算し続けている。
「……ふん」
沈黙するクールボーイに、ジュレイモンは鼻を鳴らす。
「行くがよい。お主が隠しているなにかも、ダルフォモン様には見えてしまうことだろうよ」
「……ありがとう。長老」
クールボーイは簡潔に礼を述べると、森の最深部に向かって歩いていく。清浄でありながら濃密なこの空間を満たすデータの霞に覆われて、その後ろ姿は見えなくなる。
「……まったく、あの者も、ミスティモンと同じ坊主じゃな」
ジュレイモンはため息をつく。
「己の弱さが許されることを恐れて、自らを責め続けておる」
DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG.22 謁見
森の最深部、コケやシダに覆われた場所。空気は澄み切っていて美しかったが、呼吸をするたびにクールボーイの心はかえって不安になった。
この空気はあまりにリアルだ。現実世界と、まるで変わらない。呼吸をするたび、肺に酸素が染み込むたびに、自分という存在がこの空間に引っ張られていくような、元の世界に変えることのできない体に作り替えられていくような、そんな感覚に襲われる。
まぎれもなくこの場所が、この世界の中心なのだと、体の細胞一個一個が叫んでいるような、そんな気分だった。
『来てしまったのですね』
不意に、どこからか声が響く。
世界が口を開いた。クールボーイはそう思った。
この空間に生える植物、役目を終えて朽ちていく枯れ葉、空気を満たす粒子の一つ一つが、意思を持ち、振動し、一個の意思を伝えている。声は彼の内側からも聞こえた、自分もすでに、神の意志を伝える、この世界の一部なのだ。
それは女性的な、柔らかな声だった。全てを包み込むような優しさと、厳粛さを含んだ響きに、自然と背筋が伸びる。
「あなたが、ダルフォモン、か」
姿を見せないその声の主に向けて、クールボーイは声を振り絞る。
『はじめまして、伝道者。あなたのことは、ずっと見ていました』
伝道者、その言葉に、クールボーイの眉がピクリと動く。目の前の存在は、彼という人間の在り方について、想像以上に深く理解しているらしい。先ほどのジュレイモンの言葉が脳裏をかすめる。
……隠し事はできない、か。
そう口の中で呟くと、彼の周囲の空気がふっと和らぐのを感じた。
『安心して。あなたのことを必要以上に暴き立てるつもりはありません』
「……それはどうも。それなら、こちらも自然体でいかせてもらいましょう。こちらのことをご存じなら自己紹介は省かせていただく」
内心を見透かしたようなセリフに、クールボーイはあきらめたように息をつく。
「ダルフォモン、あなたは今『来てしまった』と言いましたね。どういう意味です? 僕をここに呼んだのは、ほかならぬあなたのはずだ」
その言葉に、ダルフォモンはぽつり、ぽつりと空気を震わせる。
『確かに、あなたを呼んだのは私です。しかし、それによって引き起こされることは、あなたにとっても、この世界にとっても、きっと悲劇でしょう。ですから、この世界の代弁者として、そのような表現を用いました』
「僕がここに来ることが、悲劇……?」
それ以上を問いただす前に、彼の頭はその言葉の意味をはじき出す。今、この世界と彼に悲劇をもたらす存在がいるとしたら、それはたった一人だ。
……僕がここに来ることも、アンチェインの読み通り、か。
考えれば分かることだ。水面下で続けられてきたクールボーイとアンチェインの読み合いは、互いが常にその場での最善手を打つことを前提に続けられてきた。クールボーイが“守護者”に捕らえられ、ダルフォモンに会うことになったのは成り行きに過ぎないが、クロスコネクティアに閉じ込められた彼が、いずれこの世界の神に接触するだろうことは読まれていたと考えるべきだろう。
そんな彼の思考を見透かしたように、植物たちが悲しげに揺れる。
『その通りです。伝道者。アンチェイン──あのハザマの子は今、私の片割れと共にいます』
「片割れ?」
『ええ。進化の揺らぎの中で、違う道を歩んだもう一柱。分かたれた二つの道を、ハザマの子はきっと、また一つにする気なのでしょう』
もう一柱、そう口にするダルフォモンの言葉に、わずかながら憎しみの色がにじんでいることにクールボーイは気づく。片割れ、というのは如何なる存在なのだろうか。いや、今重要なのはアンチェインの目論見の方だ。
「アンチェインは、あなたというデジモンを材料に、より強い力を掴もうとしている?」
『ええ。きっとあなたの足取りを追って、多くの心無き人形が、ここにやってきます』
暴走NPCのことだ。クールボーイの顔から血の気がさっと引く。しかし、ダルフォモンの声はどこまでも穏やかだった。
『安心してください。伝道者。あなたの恐れるようにはならない』
「なぜ? 最悪の展開だ。どうして僕をここに招いたんです。ラクーナはおろか、あなたの身さえ危険だというのに」
『私はハザマの子の思い通りにはなりません。その前に、この世界と共に滅びるからです』
「……え?」
あまりにもあっさりと告げられたその言葉に理解が追い付かなかったのか、クールボーイの喉から声が漏れる。
「なにを……言っているんですか?」
『言葉の通りです。私がラクーナに連れ去られれば、この世界にも甚大な被害が及ぶでしょう。その前に、穢れのない美しい姿のまま、この世界を地に返そうというのです』
「ばかな。それでは本末転倒だ!」
クールボーイは声を荒げる。しかし、ダルフォモンの声は努めて冷静だった。
『いいえ、私も捨て鉢になってこのように言っているのではありませんよ』
「じゃあ、なんで……」
『この世界は、寿命が近いのです』
「……」
クールボーイは押し黙る。
『あなたも聞いたでしょう? 今、各地で異変が起きています。それは外敵の影響ではない。この世界が限界を迎え、崩れ落ちようとしている。小さい世界ですから、無理もありません』
「……」
『あなたもその可能性を考えたことがあるでしょう? 伝道者よ。だからこそこの世界ではなく、ラクーナを選んだ』
「……そんな」
「私は、自然をつかさどるモノとして、この世界に最初に生まれ落ちたデジモンです。私の存在によって、この世界は“野生”の色を色濃く伸びた。強きものが生き残り、弱きものは淘汰され、そのどちらもいずれは滅びる。ここはそんな世界です」
だとしたら、と残酷なまでに優しい声色で神は語る。
『──この世界そのものも、潔く寿命を迎えるべきだと、私は思います。美しく滅ぶ権利を、私は行使するつもりです』
「……そんな、そんなことは認められない」
クールボーイは、血がにじむほどに強くこぶしを握り締める。
「ここは確かに小さな世界です。でも、たくさんのデジモンがいる。そのどれもが、かけがえのない命だ。救う術があるかもしれない限り、僕は命を諦めることなどできない。できる、はずがない」
『……立派ですね。伝道者よ』
クールボーイの言葉に、ダルフォモンはそう言って、沈黙する。
そして──不意に、周囲の空気が圧倒的な緊張感を帯びた。一瞬で重力が2倍にも3倍にもなったような感覚に、クールボーイは思わず膝をつく。
『しかし、私もあなたの言葉を認められません。この世界のデジモンたちを救う。確かに私もそうしたい。しかし現状をどうするというのですか。私にこのままラクーナにわたって、ハザマの子の思い通りになれと? それはさらなる災禍を招くだけ』
「……」
『デジモンたちについてもそうです。ミスティモンにあなたはどう話すのです? 自分を信じて、いまだ毒に満たされた地であるラクーナに来てくれと? そのラクーナは、今まさに敵の手に落ちているというのに』
「それは……」
口ごもるクールボーイに、ダルフォモンは母のような厳しい口調で続ける。
『ダメですよ。伝道者。あなたが本気だというのなら、たとえ嘘でも希望をうたわなければいけなかった。相手の罠にはまり、侵され、穢され、最悪の結果に終わるかもしれないが、それでも一緒に戦ってほしいと、私に言わなければいけなかった』
「……っ!」
『デジモンたちを救うと言いながら、あなたには彼らを運命を共にする覚悟がない』
「あなたたちを、ただ生きているデジモンたちを、巻き込むわけには……」
『──黙れ。ただ生きている命など、どこにもいない』
その言葉が、鉄槌のような圧力となって、クールボーイに降りそそぐ。うめき声をあげてうずくまる彼に、なおも優しい口調で、ダルフォモンは語る。
『あなたに、私の愛しい子どもたちは、任せられない』
「ダルフォ……モン……」
『ご安心なさい。この世界が滅びれば、ハザマの子の企みは失敗する。あなたは、あなたの世界を守りなさい』
それはまさに神の宣託。そむくことなど許されない、圧倒的な意思。
クールボーイはそれにあらがおうとするが、体が動かない。それでも、と喉が声を漏らすことすら許されない。
──しかし、不意に、その圧力が解けた。解き放たれたクールボーイは、ばたりと倒れ、何度も大きく息を吸う。
『大丈夫ですか』
「ダルフォモン……気が変わったんですか?」
『いえ。しかし、判断をするにはまだ早いと思ったので』
「え……?」
ダルフォモンの言葉と共に、クールボーイの前で、空間を漂う胞子が集まる。それはスクリーンのような長方形を形作り、やがて一つの映像を映し出した。
“守護者”の砦の外、そこに集まったいくつかの人影を、クールボーイは見つめる。
ユウキとインプモン、サイキヨとファンビーモン、リュウタローとティラノモン、涼音とユキダルモン。
「みんな……」
『この世界の行く末を定めるのは、彼らの選択を見届けてから、としましょうか』
ダルフォモンのその言葉に、クールボーイは祈りを込めるように、ぎゅっとこぶしを握りしめた。
To Be Continued.

