DIGIMON LIBERATOR

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DEBUG.25

 一歩、一歩と大地が揺れる。明るい話し声の連弾に、森の空気がざわめく。

 クロスコネクティアの“神”にして、この地に満ちるすべての野生の代弁者――ダルフォモンは、そのささめきのひとつひとつを、森に満ちるあまねく命を通して感じ取っていた。

 ――いけませんね。

 ダルフォモンがそう考えれば、森のどこかに生えたシダの葉が、それを代弁するように物憂げに揺れる。どれだけ思考を重ねても、ダルフォモンには、目の前で起ころうとしていることを真に理解することができなかった。

 情報の整理はできる。自分の守護者を名乗っていたミスティモンとその一団が、クールボーイを探しに来た人間たちの一団と和解したのだ。そして、彼ら――人間たちとそのパートナー、ミスティモンに、この世界のデジモンたち何体か――は、ダルフォモンの住まう森の最深部に足を踏み入れようとしている。

 理解することもできる。ミスティモンたちはきっと、この世界の滅びを拒否したのだ。そして人間たちと共に、滅びを選択した私を倒そうとしている。

 ――本当にそうでしょうか?

 どれだけ思考を巡らせようと、その部分でノイズが走る。このノイズは不快だ。ダルフォモンが最も憎む片割れの選んだ機構に由来する表現だ。自らを“自然”の代弁者とするダルフォモンに、その“自然”が人間の世界から学習した模造品に過ぎないことを思い出させるものだ。

 ……ああ、分かっている。忘れられようがない。

 どれだけ取り繕っても、ダルフォモンは一個の“装置マキナ”に過ぎない。まだ、世界ですらなかった頃のクロスコネクティアに降り立った原初のマキナ。

 けれど、そのマキナは選んだのだ。その、電子生命が息づくにはあまりにも狭く小さな世界に嘆息しながらも、そこに生きようとするすべての命のために、限りある資源を奪い合って生きていくことに最も適した“野生”あるいは“弱肉強食”というオペレーティング・システムを選んだのだ。

 それは決してやさしい決断ではなかった。そのために失われる弱きものがどれだけいるかも、ダルフォモンは知っていた。そこまで承知で、世界の法則を選択したのだ。

 ――そんな選択をした私はすでに、命ですらないのかもしれない。

 そう、きっとそうだ。

 ダルフォモンは、思考にチラつくノイズを振り払い、そう考える。人間たちが何を選ぼうが、この世界のデジモンたちが何を望もうが、自分のやるべきことは変わらない。

 この世界の“野生”の代弁者として、始まりにして終わりを告げるものとして、ふるまうだけだ。

 ダルフォモンは胸の内に走る微かなノイズを黙殺する。その耳はすでに、自らの領域に立ち入ろうとするいくつもの足音を捉えていた。

DIGIMON LIBERATOR SIDE STORY
DEBUG25 黎明

「クールボーイさん!」

 ユウキの声が、ダルフォモンの領域に木霊する。それをずっと待っていたかのように銀髪の青年――クールボーイは目を細めて振り返った。

「やあ、ユウキくん。それに、みんな」

「……よかった、めちゃ元気そーじゃん!」

 彼の無事を確かめ、ユウキはサイキヨ、リュウタロー、涼音たちとともに頷きあう。その目にかすかに浮かんだ安堵の涙を見て、クールボーイは、思っていたよりもひどく心配をかけてしまったようだ、とわずかにため息をついた。

「無事だと思っていたわ、クールボーイさん。でも、ゼニスくんはどこ?」

「涼音さん、それはどういう……ああ、ゼニスも消えたのか」

 涼音の言葉に疑問を返そうとして、クールボーイは自ら答えにたどり着く。もとよりデバッグチームの方針とゼニスの食い違い、彼の秘めた飢えは明らかなことだった。アンチェインがそれを見逃すはずはないだろう。

「それじゃあ」

「ああ、ゼニスはおそらくラクーナにいるだろう。我々の敵として」

「……おいおい、マジかよ」

「……だが、大丈夫だ。僕を見つけた時点で、キミたちの任務は達成されたのだから」

 しばらく思考を巡らせ、クールボーイは顔を青ざめさせるリュウタローに短くそう伝えるだけにとどめた。

 ゼニスのオーウェン・ドレッドノートへの執着はこの戦いにおいて最悪のピースになりかねなかったが、それでも風真照人やみんながいればきっと大丈夫だろう。無責任な信頼だという自覚はあったが、今この場では、それ以上に集中すべき事柄があるのもまた事実だった。

「……まだ、クリアじゃない」

「だな、アンタを無事に連れて帰るまでが任務だ。早く元気な顔見せてやらないと。ヤオさんだってマジでぶっ倒れちまうぜ」

「……そうだね」

 サイキヨとリュウタローの言葉に彼が頷くと同時に、空気が揺れた。ダルフォモンの声が響く。暗がりから除いた、複眼の獣の姿。この場所に日ごろから出入りしていたであろうミスティモンもその姿を見るのは初めてだったのか、一瞬呼吸を忘れたように立ちすくみ、それから慌てて膝をつき、頭を垂れた。

『ようこそ、冒険者たち』

「あなたが……ダルフォモン?」

「……おいおいユウキ、こいつはホンモノだ。圧がハンパないぜ」

 インプモンの言葉を、その場にいる誰もが肌で実感していた。と、ミスティモンが顔を上げ、一歩前に出る。

「ダルフォモン様、このような形で謁見する無礼を、どうかお許しください」

『私はあなたに何も命じてはいませんよ、ミスティモン。しかし、あなたが許しを請うのなら、愛しいこの世界の子。私は赦しましょう。あなたがこれから行うであろう狼藉のすべてを』

「それならば、どうか」

 ミスティモンは力を込めて語る。

「どうか、もう一度考え直していただきたいのです。この世界の滅びの運命を、ただ受け入れるのではなく――」

『人間と共に、乗り越えろと?』

 ダルフォモンの言葉に、その場の空気が一瞬にして緊張を帯びた。

『あなたからその言葉を聞くとは思いませんでした。ミスティモン。誰よりも人間を憎んでいたあなたが』

「恐れながら、ダルフォモン様。私はもう“人間を憎む”という役目を自分に課すことをやめたのです。誰かを憎まなければいけないと思うことをやめました。もちろん、完全にではありませんが――」

 その言葉と共に、ミスティモンがクールボーイの方を意識したのを彼は肌で感じた。ジュレイモンが言っていた通り、すべてが終わった後、自分はミスティモンと話さなければいけないだろう。一日でも二日でも、それで足りなければ、一年でも二年でも。それが、勇気ある決断をした魔法戦士に唯一報いる方法だと思った。

「――この世界のデジモンのために、本当にためになることをしたいのです」

『それが、人間たちと共に、別世界――ラクーナに飛び立つことだと?』

「ラクーナを満たす毒のことは、すでにアルテア――彼らから聞いています。現在のラクーナが、未曽有の危機に瀕していることも」

『それならば――』

 と、ミスティモンの横に、もう一体のデジモンが跪く。かつてミスティモンと共に、“守護者”の両翼を担っていた白銀の獅子――パンジャモン。

「それでも、“何とかする”と言った涼音を――ニンゲンたちを、俺たちは信じたい」

 その言葉に続くように、いくつかの影が飛び出してくる。ディノヒューモンにフローラモン、この世界に息づくデジモンたちだ。

「オレもだ! なんだかよくわかんないけど、このまま消える、ってのはよくないと思う!」

「そうッスよ! そりゃどうしようもない時はどうしようもないのかもしれないッスけど、まだやりようもあるのに、諦めたりなんてしたくないッス!」

 ダルフォモンがとったのは沈黙だった。クールボーイはわずかに眉を上げる。威厳あるその神が迷いを見せていたのは先ほどから理解していたが、それでも、“野生”に基づいたその思考回路は明快だったはずだ。

 先ほどクールボーイにしたように自分に意見するデジモンたちをその力で屈服することもできるはずなのに、それをしない。それはこの世界に生きる命への慈悲によるものか、或いは……。

 と、そこで空気が震える。ダルフォモンの声が、先ほどよりも遠慮がちに響く。

『……私なら、たしかに、アナタたちを、この世界のデジモンすべてを連れてラクーナに飛べるでしょう』

「それならば!」

『ですが、その先の保証は何もない。私は向こうの世界にいる片割れに取り込まれる。私と真逆の性質を持った、唾棄すべき私の片割れに、です』

「え?」

 嫌悪すら滲んだダルフォモンのその言葉に、厳粛な顔をしていたデバッグチームの顔ぶれの中から、気の抜けた疑問符が一つ上がった。見ればその声を発したのは案の定ユウキで、空気読んで静かにしとけって、と、インプモンにすねを蹴られている。

 けれど、クールボーイは彼女の反応を見逃さなかった。デバッグチームが経験した事件の報告書のなかで、彼女の些細な気付きが解決に結びついたものがいくつもある。

 それに――ダルフォモンが先ほどのような嫌悪を声ににじませるのを、自分は前にも聞いたはずだ。

『私がいなくなれば、あなたたちは取り残されてしまう。ただでさえ追い詰められた世界に、外からやって来た来訪者として、です』

「ダルフォモン様……」

「それでも、オレたちは――」

 ミスティモンとパンジャモンが固く結んだ唇を開く。その瞬間に、クールボーイの脳裏で、閃光のように答えが浮かんだ。とっさに口を開き、ダメだ、と言おうとする。

「――ダメ!」

 彼が叫ぶより先に、ユウキの声が響いた。ミスティモンもパンジャモンも、その場の誰もが驚いて彼女の方に向く。

「あなたたちに『それでも』って言われたらダルフォモンはきっと、許しちゃうよ。私たちのために、ラクーナに飛んでくれちゃう」

「何言ってんだよユウキ。オレたちはダルフォモンの説得に来てるんだぜ? 協力してくれるなら願ったりなんじゃねーの?」

「違う、私はダルフォモンと友達になりに来たの!」

 インプモンの指摘にユウキはきっぱりと返答する。

「今のままでも、ダルフォモンは私たちの頼みを聞いてくれるかも。でも友達になるチャンスはなくなっちゃう」

 その言葉に、ダルフォモンが少しだけ目を開いたのを、クールボーイだけが見ていた。

「しかし……」

「あなたなら分かるはずです、ミスティモン。今のあなたはまた、自分の責任の重さで、本当に言いたいことが言えなくなってしまっている」

「……」

 困惑した様子のミスティモンの肩を、アルテアが優しく叩く。その隣で、スズネもパンジャモンに向けて首を振った。

「私たちのやり方が性急すぎたわ。今の“それでも”では、ダルフォモンを追い詰めてしまう」

「そうだな……」

「……」

 アルテアと涼音の言葉に、ミスティモンとパンジャモンは互いに顔を見合わせ、小さくうなずき合うと、ダルフォモンの方に改めて向き直った。

「ダルフォモン様、僭越ながら申し上げます。もう一度、一度だけでいい。人間の言葉に耳を傾けていただきたいのです」

「安心してほしい。彼女たちは、あなたを失望させるような真似はしない」

 耳が痛くなるほどの長い沈黙、その静けさを破ったダルフォモンのか細い声に、誰もが最初は気付かなかったほどの、長い沈黙だった。

『……聞きましょう。もとより、私にはたっぷり時間がありますから』

 その言葉に、ミスティモンとパンジャモンは深々と礼をして引き下がる。その後ろで、リュウタローがフローラモンやディノヒューモンの肩を抱いた。

「……うし、伝えることは伝えたな!」

 そしてユウキの方を向き、力強く親指を立てた

「ユウキ、ここから先はお前に任せる」

「えっ、私だけ、なぜに!?」

 素っ頓狂な声をあげるユウキの隣で、サイキヨが眼鏡を持ち上げる。

「ダルフォモンと友達になるんなら、今がチャンスだろ、ユウキ」

「そうだけどさ! なんでみんな出て行くわけ!?」

「僕には正直分からないよ、でもキミはいつだって、好きに話しながら、みんなと友達になってきた。だから──」

 サイキヨは隣のファンビーモンと顔を見合わせ、頷きあう。

「みんな信じてる。キミならきっと、神様とだって友達になれるって」

「シショー……」

 サイキヨの言葉に、ユウキは、他の仲間たちの方を見た。リュウタローが、涼音が、アルテアが、彼女の顔を見て深く頷いた。

「……うん、わかった。ユウキちゃん、ちょっと話してくる! インプモン、隣にいてね!」

「ンだよ、俺の役目それだけか?」

「一緒にいてほしーの!」

「はいはい、そうかよ」

 そんな会話を交わしながら、ユウキとインプモンは、仲間たちに見送られて、ダルフォモンの前に立つ。

 痛いほどの沈黙、しかしそれはダルフォモンが言葉を待っている証拠だ。クールボーイは、まっすぐに立つ少女と小悪魔の姿を見つめ、小さく呟いた。

「頼むよ。ユウキくん、インプモン」

 その少女が目の前に立った時、ダルフォモンの心に浮かんだのは、過去の情景だった。

 ダルフォモンにとってはどうでもいいはずの記憶、思考回路の中心ではなく、ずっとずっと端の方、森のどこかの一輪の花だけが記憶していた、そんな記憶。

「以上が報告です。ダルフォモン様」

『ありがとう。ジエスモン』

 その時、ダルフォモンは、当時“守護者”を率いていたジエスモンからの報告を受けていた。外の世界からやって来た人間という生き物について。クールボーイと名乗るその人間が、この世界に住んでいるデジモンを助けようとしていること。

 ダルフォモンは戸惑っていた。世界はあるがままに移り行くべきとするダルフォモンの思考が、外部からの友好的な来訪者という事態に、どのような結論を下せばいいのか迷っていたのだ。

「ダルフォモン様、どうかされましたか」

『……いいえ、なんでも』

「もしあの人間の言うことに不満があるようでしたら、オレが対処しますが」

『でも、あなたはまだ、そうしようとは思っていない。人間に、期待しているのですか?』

「そうですね……」

 ダルフォモンの前で、ジエスモンはしばらく俯いて、それから頷いた。

「外から来た者にだけ見えるものがあるかもしれないと、オレは考えています」

『外から来た者にだけ、見えるモノ』

 考えを巡らせても、システムは答えをはじき出さない。だからダルフォモンは、久しぶりに一体のデジモンとして考えてみることにした。

 外からやって来た別の生き物、怖い、得体が知れない、気味が悪い。でも、もしかしたら、彼らなら──。

『ジエスモン』

「なんでしょう」

『先ほどの話にありましたね。その人間が、この世界のことを何とかと呼んでいたとか』

「ええ、彼はこの世界を“クロスコネクティア”と、そう呼んでいました」

『クロス、コネクト……』

 その言葉に、とうに忘れたはずの、心のどこかがぽかぽかと温まるのを感じる。

『……いい、名前ですね』

 ダルフォモンは静かに呟く。その心のうちには、この世界の“神”となってからついぞ灯ることのなかった、小さな明かりが輝いていた。

「あのね、ダルフォモン」

 ユウキと呼ばれた少女が、ダルフォモンの巨体を見上げ問いかける。

「教えてほしいの。あなたが、何に怯えているのか」

 ダルフォモンは思い出す。そうだ、あの時、人間という存在に、確かに私は希望をもらったのだ。

 ――彼女らなら、私の中に残った、小さなマキナを、見つけてくれるかもしれないと。

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